悲しいやら嬉しいやら。
私が26歳で右も左もわからない中、社労士として開業した時に社労士って仕事よくわからないし今まで自分で手続きしていたけど、
若いし頑張っているみたいだから顧問先になってあげるよと、私に仕事を出してくれた社長さんがいよいよ引退。
その当初はたくさん間違えたくさん叱られたけど、決まって、訪問が終わってからは、お金のない私にお寿司や焼肉やバーなど色々なところに連れて行って頂いたり社長のお知り合いの方をご紹介頂いた。
旅行や社長の実家へ遊びにも行ったなあ。
その頃の私は20代で捉えた社長という概念しかなく、社長という具体的な事象にあたることはなかった。
だから、私の中の社長という概念が崩壊するほどの、沢山の社長さんとの急な出会いに戸惑いながらも、この社労士という職業についたことに感謝を感じていたことを、今でも鮮明に思い出す。
また、一方で沢山の迷惑もかけました。
私の学生時代の友人が困っていると言うので、社長に相談。
その当初は社長も新しい人材を採用したばかりで人材募集もしてなくてないのに矢萩さんの友人なら採用してあげるよと。
また、今までの税理士さん高齢になって変わるから、矢萩さんの知り合いが良いから紹介して、と税理士さんまで変えて頂いたりと社長に信頼や許し、受容すると言うことを教わった。
それから数年、社長からは、自分の息子を先生のところでインターンでも何でも良いから働かせてくれないか?と。
息子が資格をとりたいと。
私はその頃は社員を雇うぐらいになっていたが、まだまだ社長の息子さんを受け入れる程の事務所には程遠いと躊躇したが社長から私の息子ということを抜きに一人の若者として先生の若い視点で遠慮なく育ててほしいと言うことで、息子さんを受け入れることにした。
それから2年、社長の息子さんは謙虚に自分を特別扱いしないで欲しいと自ら私達に訴え、黙々と働いた。
その当初、私達の事務所はESという概念を掲げていた。そして、私自身が経営を抜本的に変えようといきりたっていた。
CSR活動として、いま弊社のコミュニティで行っているグリーンフェスはその時、彼がつくったものだ。
そういう時期だったから相当のプレッシャーだったと思う。
そして、あれから十年、社長が引退した。
でもここで話は終わらない。
何と今度は息子さんが先代と違う分野で新しい会社を創業した。
今度は息子さんから、あの時はお世話になりましたと、うちに仕事を出させて欲しいという。
親子2代でお世話になる。
息子さんの担当は、弊社の信頼しているスタッフが行う。
今度は、今まで社長にしていただいた分、息子さんに恩を返せる。
私は先にも述べたが、なんて素晴らしい職業を手にしたのだろうとつくづく思う。
まさに私にとっては社労士業の楽しさを教えて頂いた恩人。
これからも、先代の社長とは人間的なつながりを更に深めお世話になっていきたいと思う。