四歳の頃、川崎のアパートから横浜のマンションに引っ越した。
その年の一月に弟が産まれて家族が四人となったのだが、四人で住めるほど大きなアパートでもなかったと記憶している。そのため、四人での新生活を始めるための住居として、マンションを購入したようだ。
私の「実家」の記憶が始まるのもこのマンションからだ。
五月に引っ越してきたので幼稚園の入園式には参加していない。だが、マンション内に同じ幼稚園に通っている同級生がたくさんいた。幼稚園が終わってから友達の家に遊びに行くのも、今思えば凄い近い。何せ同じ敷地内の別の棟に行くだけだったから。
小学生になってからは六年間、集団登校で学校まで通っていた。マンションの敷地内にある小さな公園に集合して、六年生のおにいさん・おねえさんが班長となり、皆が集まってから出発していた。その班は、夏休みになるとラジオ体操の班にもなった。六時半から始まるラジオ体操をみんなで踊り(?)、終わったら班長からスタンプをもらった。自分が六年生になると、集団登校の班長にもなったし、ラジオ体操の際には班長が前に出て踊り(?)、終了の際には下級生のラジオ体操カードにスタンプを押した。夏には納涼祭がその公園で開催された。小銭を持ってアイスや焼きそばを買って食べ、最後の花火まで満喫していた。
中学生になると朝練のために朝早く家を出ていた。練習は楽しくてしょうがなかったが、朝起きるのが弱かったため、週に一回は遅刻の罰走を科せられていた。夜、練習が終わって家に着くと、一目散にシャワーを浴びるために浴室へ行き、ご飯を食べてゲームをしていた。
勉強・・・?って何ですか?(笑)
数学だけは隣の家の大学生のお兄さんに幼稚園からの同級生と一緒に教わっていた。自分は数学が本当にダメだったからだ。余談だが、そのお兄さんは、既に退職されたがジェイエスピーの社員になっていた。入社してから挨拶したときは、二人で懐かしい話が出ていた。
高校生になると、幼稚園からの同級生とは別々の学校に行くようになる。幸い(?)自分を含めて三人が同じ学校に通っていたため、入学してから暫くしてからは一緒に登校していた。しかし、高校生ともなると、自分のペースで行動したくなるものだ。いつの間にか別々に行くようになっていた。部活が違うこともあり、朝練のために出発する時間も異なるし、登校手段もまちまちになったからだ。
部活の先輩の家に遊びに行くために、夜遅く家を出たこともあった。当然親はいい顔をしない。それでも大丈夫だから、大丈夫だから、と何をもって大丈夫なのかを全く説明しないまま行くこともあった。
大学受験に失敗して浪人生となったときも、現役で合格した同級生を「いいなぁ~」なんて思いながらのんきに予備校に通っていた。高校を卒業した翌日から通っていたので、勉強って楽しいって思える一年間であった(嘘)
一年間の楽しい勉強(嘘)のおかげで、何とか大学にも合格することができた。大学からの合格通知を受け取ったのもこのマンションのリビングであった。が、県外の大学に通うために一人暮らしをすることになったため、十五年間暮らしてきた実家から出ることになった。
実家ライフを満喫した十五年間であったが、実家が実家でなくなることなんて夢にも思っていなかった。
続きは次回に。
(照)
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病院を離れる夜間でも安心
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センサー、IoT、ビッグデータを活用して新たな価値を創造
「できたらいいな」を「できる」に
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株式会社ジェイエスピー
横浜に拠点を置くソフトウェア開発・システム開発・
製品開発(monipet)、それに農業も手がけるIT企業
その年の一月に弟が産まれて家族が四人となったのだが、四人で住めるほど大きなアパートでもなかったと記憶している。そのため、四人での新生活を始めるための住居として、マンションを購入したようだ。
私の「実家」の記憶が始まるのもこのマンションからだ。
五月に引っ越してきたので幼稚園の入園式には参加していない。だが、マンション内に同じ幼稚園に通っている同級生がたくさんいた。幼稚園が終わってから友達の家に遊びに行くのも、今思えば凄い近い。何せ同じ敷地内の別の棟に行くだけだったから。
小学生になってからは六年間、集団登校で学校まで通っていた。マンションの敷地内にある小さな公園に集合して、六年生のおにいさん・おねえさんが班長となり、皆が集まってから出発していた。その班は、夏休みになるとラジオ体操の班にもなった。六時半から始まるラジオ体操をみんなで踊り(?)、終わったら班長からスタンプをもらった。自分が六年生になると、集団登校の班長にもなったし、ラジオ体操の際には班長が前に出て踊り(?)、終了の際には下級生のラジオ体操カードにスタンプを押した。夏には納涼祭がその公園で開催された。小銭を持ってアイスや焼きそばを買って食べ、最後の花火まで満喫していた。
中学生になると朝練のために朝早く家を出ていた。練習は楽しくてしょうがなかったが、朝起きるのが弱かったため、週に一回は遅刻の罰走を科せられていた。夜、練習が終わって家に着くと、一目散にシャワーを浴びるために浴室へ行き、ご飯を食べてゲームをしていた。
勉強・・・?って何ですか?(笑)
数学だけは隣の家の大学生のお兄さんに幼稚園からの同級生と一緒に教わっていた。自分は数学が本当にダメだったからだ。余談だが、そのお兄さんは、既に退職されたがジェイエスピーの社員になっていた。入社してから挨拶したときは、二人で懐かしい話が出ていた。
高校生になると、幼稚園からの同級生とは別々の学校に行くようになる。幸い(?)自分を含めて三人が同じ学校に通っていたため、入学してから暫くしてからは一緒に登校していた。しかし、高校生ともなると、自分のペースで行動したくなるものだ。いつの間にか別々に行くようになっていた。部活が違うこともあり、朝練のために出発する時間も異なるし、登校手段もまちまちになったからだ。
部活の先輩の家に遊びに行くために、夜遅く家を出たこともあった。当然親はいい顔をしない。それでも大丈夫だから、大丈夫だから、と何をもって大丈夫なのかを全く説明しないまま行くこともあった。
大学受験に失敗して浪人生となったときも、現役で合格した同級生を「いいなぁ~」なんて思いながらのんきに予備校に通っていた。高校を卒業した翌日から通っていたので、勉強って楽しいって思える一年間であった(嘘)
一年間の楽しい勉強(嘘)のおかげで、何とか大学にも合格することができた。大学からの合格通知を受け取ったのもこのマンションのリビングであった。が、県外の大学に通うために一人暮らしをすることになったため、十五年間暮らしてきた実家から出ることになった。
実家ライフを満喫した十五年間であったが、実家が実家でなくなることなんて夢にも思っていなかった。
続きは次回に。
(照)
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