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マイケル

 マイケル・ジャクソンが亡くなった。昨日の朝TVを点けたら、速報で「死去かも?」と未確認の情報が流されていた。その後すぐに死去が確認されたとの報道に変わり、それから後のTVはマイケルの死去をずっと報じ続けた。80年代は彼の時代といっていいほど数々のヒット曲を全世界で飛ばし続けた彼の死であるから、それは当然の反応であろう。しかも、音楽面だけでなく、ゴシップ面でもかなりの話題を提供し続けたスターであるから、TVが彼の死を追悼するのもまた当然なことであろう。
 マイケルは1958年生まれで、私と生年が同じである。ジャクソン5のボーカルとしてのマイケル少年の美声は今聞いても驚くほどだが、全世界で1億400万枚も売り上げたというアルバム「スリラー」には名曲がひしめき合っていて、初めて聴いた時にはその完成度の高さに一瞬で魅了されてしまった。当時は、まさにビデオクリップが盛んに作り始められた頃で、日本でも「MTV」が深夜に放送されるようになっていた。毎週欠かさず見ていた私が、初めて14分にも及ぶ「スリラー」のビデオクリップを見たときには、まるで1本の映画を見ているようで、一糸乱れぬ群舞とともに、マイケルをたぐい稀な才能を持った当代一のエンターテナーだと確信した。
 ただ、その頃は私と同い年などと意識したことはほとんどなく、私たち世代の世界的なシンボルであると漠然と思っていただけだった。その少し後に、マドンナがブレイクし、彼女も1958年生まれだと知った頃から、1958年生まれに音楽界の逸材が多いのを少し誇りに思うようになり、塾で「先生何歳?」と聞かれるたびに、「マイケルジャクソンと同い年」と答えるようにもなった。だが、その私の答えも年を経るにつれだんだんと通じなくなっていった。マイケルを知らない子供が多くなり、知っていても「あの宇宙人みたいな人?」と嘲りの対象となってしまったのだ。確かに「We are the World」より後のマイケルの迷走ぶりはひどかった。ネバーランドや幼児虐待などとセンセーショナルな話題ばかりが先行し、写真に撮られたマイケルの顔がどんどん変わっていくのに憂慮した。「こんなことしてたら、最後には顔が崩れちゃうね」と、よく妻と話したものだった。ジャクソン5のマイケルのファンだった妻にしてみれば、丸い童顔の可愛かったマイケル少年がどうしてこんなに・・という思いが強かったようだ。ピーターパンのようにいつまでも子供でいたかったのかもしれないが、年をとれば大人になり、やがては老いを迎える、その当然の時間の流れに無駄な抵抗を重ねるよりも、ムーンウォークしながらかっこよく年をとっていけばいいのに、と彼の醜悪としか呼べない整形顔を見るたびに残念に思った。
 彼が膨大な借金で苦しんでいたのは、ずいぶん以前から報道されていた。どうしてあんな大スターが、とどうしても思ってしまうが、それは同じ1958年生まれの小室哲哉の例を出すまでもなく、若くして成功を収め、巨万の富を手にしてしまった者達にとっては、宿命のようなものかもしれない。成功を収めた者に群がり来る取り巻きや、肥大し続ける己の欲望に歯止めを掛けることができなくなり、己の栄華が永遠に続くと思い込んでしまった瞬間に、彼らの悲劇は始まるのかもしれない。そう思うと、彼らのように派手な暮らしができなくとも、そこそこ暮らしている私のほうが結局は幸せなんだろうな、と小市民的な喜びに浸ってしまう・・。
 
 50年という人生(短いのか長いのか中途半端な長さだが・・)を駆け抜けたマイケルに哀悼の意を表し、彼が輝いていた頃を思い出すために、ポールマッカートニーとのコラボが懐かしい、「Say Say Say」を聴いてみようと思う。
 



Adieu, Michael!!
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