毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています。
疲れるけど、頑張ろう!
「武士の家計簿」
「武士の家計簿」を見てきた。もちろん「ヤマト」も見に行くつもりだが、上映時間の関係で「ヤマト」は来週行くことにして、まずは「武士の家計簿」を見た。ストーリーは次のよう・・。
『御算用者(会計処理の専門家)として、代々加賀藩の財政に携ってきた猪山家八代目・直之(堺雅人)。そんな彼は、時に同僚からですら“算盤バカ”などと言われる男だった。時は江戸時代後半。天保の大飢饉などもあり、加賀百万石と謳われた藩も財政状況は芳しくない。加えて当時の武家社会には、身分が高くなるとそれに応じて出費も増えるという構造的な問題があった。直之は家財道具を処分し、借金の返済にあてることを決断。倹約生活を実行することになった猪山家の人々。とりわけ妻のお駒(仲間由紀恵)は、直之の一番の理解者として、明るく献身的に家を切り盛りしていく--。』
私は堺雅人という役者はあまり好きではない。いつも笑っているような顔がどうにもイヤで、いくら妻から元々ああいう顔だから仕方がないと説明されても納得できない。この映画でも、何でほくそ笑んでるんだろう?と思う場面が多く、あれがいいと思う人もいれば、鬱陶しいと思う人もいるだろうな、とずっと気になっていた。しかし、常に算盤を手放さず、収支の細かな部分までおろそかにせず、家計の健全化に全力で取り組んだ主人公にはピッタリの風采で、少々の顔の表情くらいは大目に見なければならないだろうと最後には思うことにした。
その妻役の仲間由紀恵は安心して見ていられた。どんな役でもそつなくこなす力量は大したものだ。「トリック」の時のストレートヘアーよりも、時代劇の髷を結った時の方が私としてはいいかなあ・・。
しかし、武士の対面をかなぐり捨てて家計を立て直そうとした直之の、名よりも実をとる姿勢は大いに見習うべきものがあると思った。私のようないい加減な者には、家計簿をつけることなどとてもできないことだが、いつの間にかお金がなくなってしまうと嘆いているくらいなら、せめて大まかなお金の流れくらいはきちんと把握しておくべきだろうと、自戒した。どんぶり勘定ばかりだと、いつかは行き詰ってしまうから・・。
そんなことを思いながら見ていたら、鴎外の「高瀬舟」の一節を思い出した。
『庄兵衞は只漠然と、人の一生といふやうな事を思つて見た。人は身に病があると、此病がなかつたらと思ふ。其日其日の食がないと、食つて行かれたらと思ふ。萬一の時に備へる蓄がないと、少しでも蓄があつたらと思ふ。蓄があつても、又其蓄がもつと多かつたらと思ふ。此の如くに先から先へと考へて見れば、人はどこまで往つて踏み止まることが出來るものやら分からない。それを今目の前で踏み止まつて見せてくれるのが此喜助だと、庄兵衞は氣が附いた』
かつてもこれと同じ個所を引用したことがある。(「高瀬舟」)その時は、借金地獄に堕ち込まないようにするには「足る」ということがどれだけ大切であり、どれだけ難しことかを書いたつもりだ。しかし、借金で首が回らなくなった場合、そこから抜け出すためには、落ちないようにする時の何倍も厳しく「足る」を知らなければおいそれと抜け出せない。その覚悟を決める時の難しさ、辛さをこの映画は教えてくれている・・。
決して胸踊らせるような映画ではないが、見終わってゆっくりと反芻していくとジワジワと味わいが深まっていくような映画だと思う。
『御算用者(会計処理の専門家)として、代々加賀藩の財政に携ってきた猪山家八代目・直之(堺雅人)。そんな彼は、時に同僚からですら“算盤バカ”などと言われる男だった。時は江戸時代後半。天保の大飢饉などもあり、加賀百万石と謳われた藩も財政状況は芳しくない。加えて当時の武家社会には、身分が高くなるとそれに応じて出費も増えるという構造的な問題があった。直之は家財道具を処分し、借金の返済にあてることを決断。倹約生活を実行することになった猪山家の人々。とりわけ妻のお駒(仲間由紀恵)は、直之の一番の理解者として、明るく献身的に家を切り盛りしていく--。』
私は堺雅人という役者はあまり好きではない。いつも笑っているような顔がどうにもイヤで、いくら妻から元々ああいう顔だから仕方がないと説明されても納得できない。この映画でも、何でほくそ笑んでるんだろう?と思う場面が多く、あれがいいと思う人もいれば、鬱陶しいと思う人もいるだろうな、とずっと気になっていた。しかし、常に算盤を手放さず、収支の細かな部分までおろそかにせず、家計の健全化に全力で取り組んだ主人公にはピッタリの風采で、少々の顔の表情くらいは大目に見なければならないだろうと最後には思うことにした。
その妻役の仲間由紀恵は安心して見ていられた。どんな役でもそつなくこなす力量は大したものだ。「トリック」の時のストレートヘアーよりも、時代劇の髷を結った時の方が私としてはいいかなあ・・。
しかし、武士の対面をかなぐり捨てて家計を立て直そうとした直之の、名よりも実をとる姿勢は大いに見習うべきものがあると思った。私のようないい加減な者には、家計簿をつけることなどとてもできないことだが、いつの間にかお金がなくなってしまうと嘆いているくらいなら、せめて大まかなお金の流れくらいはきちんと把握しておくべきだろうと、自戒した。どんぶり勘定ばかりだと、いつかは行き詰ってしまうから・・。
そんなことを思いながら見ていたら、鴎外の「高瀬舟」の一節を思い出した。
『庄兵衞は只漠然と、人の一生といふやうな事を思つて見た。人は身に病があると、此病がなかつたらと思ふ。其日其日の食がないと、食つて行かれたらと思ふ。萬一の時に備へる蓄がないと、少しでも蓄があつたらと思ふ。蓄があつても、又其蓄がもつと多かつたらと思ふ。此の如くに先から先へと考へて見れば、人はどこまで往つて踏み止まることが出來るものやら分からない。それを今目の前で踏み止まつて見せてくれるのが此喜助だと、庄兵衞は氣が附いた』
かつてもこれと同じ個所を引用したことがある。(「高瀬舟」)その時は、借金地獄に堕ち込まないようにするには「足る」ということがどれだけ大切であり、どれだけ難しことかを書いたつもりだ。しかし、借金で首が回らなくなった場合、そこから抜け出すためには、落ちないようにする時の何倍も厳しく「足る」を知らなければおいそれと抜け出せない。その覚悟を決める時の難しさ、辛さをこの映画は教えてくれている・・。
決して胸踊らせるような映画ではないが、見終わってゆっくりと反芻していくとジワジワと味わいが深まっていくような映画だと思う。
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