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「修行論」

 内田樹「修行論」(光文社文庫)を読んだ。本を一冊読むたびに、このブログに感想を書き記すことにしているが、この本に関してそれらしいことを書こうと思っても、なかなか上手くいかなくて困っている。それは、この本を読了するのにかなりの日数がかかってしまい、最初の頃に読んだ内容を余りよく覚えていないというのが一番の理由だが、疎かなことを書いては内田先生に失礼だという遠慮が働いているのも確かだ。
 一時はかなりまとめて先生の著作を読んだ私ではあるが、「下流思考」を読んでいて、これはちょっと違うだろう、と思う点にいくつか気付いて以来、先生の多弁さから少しばかり離れたくなった。浅学非才な私が偉そうに言うのも気が引けるが、思ってしまったものは仕方ない。
 なので、先生の本を読むのは久しぶりだったが、実はこの本の中にもちょくちょく「えっ?」と思う箇所があって、続きを読む意欲が失せそうになった。いくら博識多才な先生が詳説されても、首肯できないものはできない。こうした違和感を持ってしまうと、中途で巻を捨ててしまうのが通常の私であるが、内田先生の著作だけに、思いとどまって最後まで読み通した。その甲斐あってか、先生が「知的に探求していることと、身体が感覚的に探求していること」が「同じもの」だと言い切る理由が十分理解できた。そういう意味では、この本は「Ⅲ 現代における信仰と修行」を熟読玩味すれば、その主意が自ずと明らかになるように思う。

 なんだか、思った通り、脈絡のない駄文を連ねただけになってしまったが、とりあえずこの本の感想として残しておく。
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