8月18日は秀吉公の命日。1598年没後即神格化に。豊国神社で豊国大明神として。何故、神になろうと。神となる事でキリスト教の制圧、神の子として秀頼公を崇めさせる為。秀吉公の墓は、明治になって改装。その中に何と、秀吉公の亡骸発見。壺の中で腐らない様に保存、胡座で両手合わせたミイラ状態だったと。
【追伸】
秀吉公の墓は、東山五条と東山七条の間、豊国神社の後方の山の上。当時、豊国神社近くに方広寺の大仏(現在は、方広寺も大仏もありません)が。高さはなんと、19メートルもあったと。因みに、東大寺大仏は高さ15メートル。何にせよ、京都東山の秀吉公墓の中には、ご本人の亡骸が。いやいや、いやいや、可能であるなら、拝ませて頂きたい。
【追伸】
神格化といえば、家康公も。家康公は生前1度も日光に訪れた事はない、縁もない、と。では、何故、日光に。家康公を神として祀るに相応しい場所として何故、日光を選んだか、と。日光東照宮と江戸城は南北一直線上。家康公遺言は「わが亡骸は久能山に納め、1周忌が過ぎたら日光に小さき祠を建て勧請せよ」と。よって、遺体は今現在、日光に。東照大権現(関東から日本全土を光で照らす神)は家康公の神としての名前。久能山東照宮、富士山、日光東照宮は一直線上。富士を不死と発想、その富士の山(不死の山)を通る事で永遠の命をもらい、神に。日光東照宮と江戸城は、南北一直線上。この両線が交わった場所が日光、よってそこに。
投稿写真は、秀吉公のお墓(豊国廟)
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