1分で読める小さなお寺の法話集

子育て、人材育成に関する法話を実話と歴史から紐解いて書いております。

【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 天から貰った最高のプレゼントは、わが女房殿にて。反対も然り。天から貰った最高の贈り物は、わが旦那さんにて。

2023-08-24 09:46:02 | 法話

【8月25日投稿分】


今月の8日は、わが女房殿の57回目の誕生日にて。2人ともここまで命を長らえ、一緒に結婚35年目を迎えられた事を、心から感謝致しております。拙僧30代の頃、2回、女房殿からマジ蹴りを喰らった以外は、喧嘩というものをした記憶が。その蹴りも、今だに喰らった理由が定かでは。その理由も、聞くのが怖くて今だに。踏んではいけない女房殿の地雷を、どうも、踏んだみたいで。女房殿は、拙僧に蹴りを入れた後「よし」と一言だけ発して、その後は何もなかったかの様に、日頃と変わらない対応を。この35年の間、感情をむき出しにして、怒ってきた女房殿を見た事がない。見た目とは違い、非常に男前にて。


さて、女房殿との馴れ初めは、拙僧が大学を卒業し、お寺に戻って来た頃に遡ります。その時が、初対面でありました。檀家さんの娘さんであった女房殿が、頻繁にお寺の手伝いに来ており、癒し系の雰囲気に、好印象を持ちました。「妻にするなら、この様な女性がいいな」と。決め手になったは、女房殿のお金に対する姿勢。檀家さん達のお布施でお寺の維持が出来、住職一家もご飯を食べさせてもらっている関係上、お金を大事(質素倹約)にする女性じゃないと、とても、お寺の坊守(ぼうもり、住職妻)は。因みに、坊守さんの事を、別名『寺庭(じてい)さん』と。お寺の庭は、見ているだけで心が癒されます。そういう雰囲気を持っている女性が、お寺の奥さんとなるに相応しいと。わが女房殿は当に、その雰囲気を持っておりました。2回、マジ蹴りを喰らいましたが。


大学を卒業して3年目、拙僧24歳の時、当時20歳だった女房殿に、交際の申込みを。その僅か3ヶ月後、女房殿に相談もせず、美空ひばりさんが最期のステージをされた小倉の九州年金会館、今の北九州ソレイユホールに結婚式の予約を。対し、女房殿が「まだ両親に、交際してる事も話してないのに」と。「今から話に行くったい」と拙僧。が、義父が了承してくれたは、式の予約日の3ヶ月前、これには流石に焦りましたね。


後に子供達から「父さん、そりゃ、犯罪やで」と。対し「何を言うか。母さんに考える暇を与えなかったから、君らはこの世に、生まれてこれたんだろうが。感謝されても、文句を言われる筋合いはなかぞ」と。「考える暇を与えなかったは、父さんの作戦だったの」と当時、小学生だった長男が。「そういうこったい。父さんの作戦勝ちや。後に、母さんが『20歳だったからね、気付いたら結婚させられていた。あの時、25歳を過ぎていたら、要らん事を色々考えて、結婚に同意してなかったかもね」と。


更に、長男が「父さんと母さんは、同じ高校だったってね」「それこそ、偶然だよ。父さんが卒業後に、母さんが入学してきた。もし、高校時代に知り合っていたら、母さんは父さんを選んでなかったろうな」「何故」「生まれた時から、坊主をやってた訳じゃないからな。当に、明治時代の教育者、森信三さんが言った『出会う人には、出会う様になっとる。それも一瞬早くもなし、一瞬遅くもなし』だよ。出会った時が、吉日(縁)だったと思う。『縁に出会って、縁に気付かず。縁に気付いても、縁を活かせず』という言葉があるが、父さんは運の良い事に、その縁を活かす事が出来たかな」と。この話を何度かSNS に載せたら、若い女性の読者達から「やり方は、褒められたものじゃないですが、かっこいいと言えば、かっこいいかな、住職は。今、こんな男性は、なかなかいないですよ」と。


女房殿は21歳から、3人の子供を育てながら、お寺の裏方を務めながら、拙僧の爺様、婆様、父、母を、最期まで献身的に世話(病気、老後介護)をして見送り、15年前からは、今度は、女房殿のご両親をお寺に迎え入れ、同居を。この時、17歳だった拙僧の娘が「お母さんの両親を、お父さんが世話をするの」と。「なんだ、お前は、同居に反対なのか」「いや、私は、嬉しいよ。賑やかになるから。だけど、また、お父さんの負担が」と心配してくれて。対し、娘に「有難うな。でも、お母さんは3姉妹だろ。みんな嫁いでいったら、誰が年老いた爺ちゃん、婆ちゃんの世話をするんだ。お母さんみたいに、女の子しかいない家庭の娘さんを嫁にしようと思っている男性は、そのご両親まで世話する事を視野に入れなきゃ駄目だよ。その気がないなら、初めっから、そんな家庭の娘さんを嫁にしようとは思わん事だ。両家の両親を同じ様に大切にする事が、家庭円満となる基軸だよ」と。


あのですな、読者の皆様。逆マスオさんも、結構、居心地がよかもんですばい。さあ、今度は拙僧夫婦が、爺ちゃん、婆ちゃんの立場になる番ですが、この先、どんな環境が私達に待っているのかな。楽しみ、楽しみ。まあ、どんな環境になろうと、私達夫婦が円満であれば、それだけで十分幸せかな。今日までに、何千という人達と関わってきた拙僧ですが、その人達が「住職よ、人生ってな、70歳代が最も楽しいぜ」と。色々、様々、人生(年齢)においての取り巻く環境を鑑みた時、確かにそうかもしれん、と納得を。


【余談】

女房殿は、80代の女房の母が皿を割ろうが、鍋を焦がそうが、物を失くそうが、女房の両親が夫婦喧嘩(常時)をおっ始めようが、いつも笑顔で対応し、全く怒ろうとしない。「皿が割れたら、また買えばいい。家の中で失くした物なら、その内、家の中から出てくる。夫婦喧嘩は、血流が良くなり、健康維持に繋がる。本来ならば、80代は手の掛かる年齢。自分で何でもやろうとするだけ、子供孝行だよ」と常に癒し系。ほんと、女房殿は男前にて。


【最後に】

今日の法話は、学校から講演を依頼された時、法話の最後には必ず、上記の話を。拙僧夫婦が、円満であるを自慢する為ではなく、夫婦がお互いを労り、助け合い、お互いを尊敬しあって生きている姿を見て育った子供は、やはり違うからです。何度でも言いますが、躾(しつけ)は「するもの」じゃないですもんね。躾は「見せるもの」ですもんね。儒学の教本『大学』の中に出てくる言葉に「修身、斉家、治国、平天下(しゅうしん、さいか、ちこく、へいてんか)」なるものが。天下を平定したいなら、まずは自分の国を。自分の国を治めたいなら、まずは自分の家庭を。自分の家庭を安穏に保ちたいなら、まずは自分の修養が大事、と。各家庭の集合体が、国ですもんね。国を平和に保てるも、保てないも、1人1人の心掛けによるところが、大きいですよね。


次回の投稿法話は、8月30日になります。