【8月10日投稿分 】
お盆時期になりますと、ある家庭の悲しい出来事が思い出されます。まず1つ目は、かれこれ10年程前になりますが、明けての年に成人式を迎える孫娘さんの晴れ着を、檀家のお婆ちゃん(孫娘の)が、自分が仕立てる、と言い出した。仏壇参りに伺うと「間に合わん、間に合わん」と言いながら、血相を変え、慌てるように着物を仕立てているお婆ちゃんに拙僧「まだ、8月に入ったばかりだよ。そんなに焦らんでも」と言っても、仏壇参りに伺う度に「間に合わん、間に合わん」と、それは、それは、凄い焦りようで。
12月に入り、晴れ着が出来上がるとお婆ちゃん、大阪に住む孫娘さんに急ぎ、宅急便で。早速、その孫娘さんから、お礼状と共に晴れ着を着た写真が、お爺ちゃん、お婆ちゃんのところへ送られてきた。ところが、年を越える数日前に、入浴中、心臓麻痺でこの孫娘さんが急死を。『虫の声(間に合わん、間に合う)』とは、こういう事でしょうね。1人娘だったが故に、ご両親の悲しみは、それは、それは大変なものでございました。が、お爺ちゃん、お婆ちゃんは気丈なもので「孫娘は、ここが寿命だったのかな。晴れ着を着せてあげられただけでも」と気持ちを押さえて、拙僧に。
こうした類(虫の知らせ)の話を聞く度に、霊媒師を含む拝み屋さんから「私には初めから、こうなる事(虫の知らせ通り)は、わかっていた」と、心の弱みに漬け込まれ、高額供養料を請求された、と拙僧に相談に来られた人達の顔を思い出します。『虫の声』とは、全てが後付けにて。後に「あれは、虫の知らせ、だったんだな」が、正解にて。答えが出てから「私は、何もかも知っていた」という『後出しジャンケン』はないですわな。答えが出た後からなら、何とでも、どうとでも、言えますがな。まあ、令和5年4月に、祟り、脅し等で勧誘する者に対し、懲役、罰金等、実刑を喰らわす『不当寄附勧誘防止法』が成立したので、少しなっとは、信仰による被害は減るかも、ですね。
嘗て、黒澤明監督が他界された時、ある番組で、黒澤監督の霊を下ろした、という拝み屋(霊媒師)さんに、北野武さんが「1つ質問があるんですが。他界する前、喫茶店に私を呼び出したは、何か言いたい事があったからじゃないですか。その時、何も言わずに帰られましたが。今ここで、話してください」と要求すると、黒澤明監督の霊を下ろした、という拝み屋さんが、暫く唸った後「んんんっ、わからん」と返答を。これには流石に爆笑したが「この拝み屋さん、正直だわ」と好感が持てましたね。何度でも言いますが、信仰は特別な物ではありまっせんばい。特別な物にしている者がいるだけ。
さて、この家族の今1つの話は、このお爺ちゃんとお婆ちゃんの息子(独身)さんの事にて。いつもの様に朝、会社へ出勤。朝礼後、同僚3人と外回りに。会社を出て僅か10分、大型トラックが4人が乗る車に激突を。2人が死亡し、2人が重傷を。死亡の内の1人が、この檀家の息子さん。外傷は殆どなく、致命は内臓損傷。行年は、50歳でした。会社から出るが、数秒、遅かったか、早かったかで、衝突してきた大型トラックは、恐らくその場を通り過ぎていたでしょうに。何故、ピンポイントでそこにいなきゃ、ならなかったのか。この事故(北九州市若松区)は、全国のニュースになりました。
ところが、この話には、まだ続きが。亡くなられたもう1人の方というが、実は檀家の親戚筋の男性であったと。後日、拙僧はそれを仏壇参りに伺った家で知る事に。また、別の檀家の仏壇参りに伺った時、その事故の話になり「実は、その事故の場面に偶然遭遇し、目の前で見た」と、そこの家の檀家男性が。彼が曰く「乗用車の方は、あまり損傷がなかったので、死人は出てないだろうな、と思ったが、その日のニュースで、2人が死亡していたを知った」と。衝突の際のエネルギーが、車体よりも人体の方に負荷が掛かったんでしょうね。車体の方がズタズタになっておれば、人体への負荷が軽減され、もしかしたら、絶命は免れていたかも。それもまた、寿命だったなのかな。拙僧の耳に入ったこの一連の話を、息子さんの老夫婦に話して聞かせました。すると、気丈な老夫婦が「息子の最期がどうだったのか、その様子が知れただけでも」と。
【余談】
これは余談ですが、近頃、読者から「住職の投稿法話ですが、読まれた人の何割に理解してもらえればいいと、思っておられますか」と。「拙僧が16歳の時、本山から高僧がわが寺に来られ、拙僧に『私が、1000人の前で法話をしたとする。その中で話の意図するところを本当に理解出来るは、その中の1割くらいかな。更に、理解出来なかった9割の人に、また同じ話をする。その中で理解出来るは、また、1割くらいかな。坊主の仕事は、この繰り返しだよ。また、法話というは、小学生でも理解が出来る様に話さにゃならん。小学生が理解出来る話なら、大人だったら、もっと深く理解する事が出来るはず。その大人が、子供並みの理解力では、話にならんがな』と言われた事が。この1割という数字には、然程の意味はなく、拙僧が理解しやすい様に、数字として表してくれたんだろうな、というは容易に理解を。また、何を拙僧に言おうとされていたかも、勿論、わかりました。ただ、何故、16歳の拙僧にこの様な話を、と。ところが、この高僧の言葉ですが、62歳になった今でも、耳から離れずに残っております」と。
更に、この読者に「今1つ、拙僧が僧侶になった19歳(大学在学中)の時、この高僧から『人から裏切られても、裏切られても、君は人を裏切るな。君を裏切ってきたその人が、最後に頼れる場所は、裏切る事が出来た(甘える事が出来た)君のところしかない。親と子の関係が、当にこれだよ。住職に仕事は、これだよ』と。この言葉も。ずっと耳に」と。
続けて、この読者に「さて、あなた(この読者)からの質問に対する答えですが、拙僧の法話を1人でも人生の糧にして頂けたなら、それだけで十分かな。この住職という仕事をしていると、人を1人救う(導く)という事が、どれだけ大変な事かを、身に染みて感じております。100人から『何だ、この法話は』と批判されても、1人から『心が癒されました』と言われたら、もう、それだけで」と。
次回の投稿法話は、8月15日になります。