【この法話は昨年の7月7日に投稿したものですが「反省の為に」と旦那さん達からのリクエストが多い法話なので、今日、ここに】
お寺の法要後に、檀家さん達とお茶を飲みながら話をしていると、面白いもので、夫婦の力関係が手に取る様にわかってくる。先日も、どこでそんな発想を拾って来たのかは知らんが、奥様達が旦那さんの事を「うちのクッションが」とか「うちの座布団が」とか「うちの座椅子が」とか。訳がわからんので聞いてみると『尻に敷いている旦那』の呼称だった。
檀家の旦那さんには、自分の事を面白い表現で主張する人がいる。「住職よ。私ら夫は四天王(持国天、増長天、広目天、多聞天『毘沙門天』。東西南北を護るガードマン)に踏みつけられている邪鬼なんだよな。家庭内では、四天王(女房)が幅を利かせて目立っているが、邪鬼(夫)も踏まれ続けながらも結構、頑張ってるんだけどな。その頑張ってる姿を少しでいいから、認めてほしいよな。だけど、邪鬼(物の怪、怨霊)が、仏法を犯す邪神として、四天王に踏み付けられ、懲らしめられ、苦しい表情を見せている様(投稿写真の四天王の足元)は、私ら(達)旦那が、自分勝手な行動を取り、夫婦関係を壊して、女房から懲らしめられている姿もそれかな、と反省する事も」と旦那さん達も懺悔を。
また、旦那さんの中には「四天王に踏まれてる邪鬼だが、踏み付けられている間は、まだいいか、と思ってしまう私(夫)がいる。『こんなの要らん』と蹴られて、転がっていったら、どこまで落ちていくんだろうか、と考えただけで恐ろしい。特に私は、定年前なので。住職よ、逆らってはいかんもんに、逆らったら、あかんよね」と。「夫婦関係を含む人間関係は全て、割り切れん物を無理矢理割り切って、わが心と折り合いを付けていくしかない。生まれも、育ちも、性格も違う男女が、何かしらのきっかけで結婚し、一緒に暮らす事になる。人間は大なり小なり皆、自己中心的な生き物。長年の間に折り合いながら生活していく内に、知らず知らずに『似た者夫婦』と言われる様に」と。
まあ、でも、上記の様なご夫婦は、なんだかんだ言っても、夫婦仲がいいですよね。拙僧夫婦も力関係は、完全に拙僧の方が立場は下ですが、非常に居心地がいいですもんね。
さて、これは余談ですが、許される人と、許す人。どちらがより心が楽になるかといえば、やっぱ、許す人の方かな。怒り続けるというは、ほんと、しんどい。許してもらった人が浮かべる安堵の表情は、許した人が背負っていた荷物も、全て下ろさせてくれる。喧嘩は両成敗。片方が100%悪いなんて事は、絶対にないかな。
次回の投稿法話は、8月25日になります。