【11月20日投稿分】
一昨日、リバーウォーク(小倉城前)の中にある北九州芸術劇場で行われているお芝居に、家内が拙僧を連れて行ってくれました。こんな料金で観劇する事が出来るのか、という程の有名俳優さんや、劇団さんがこの北九州芸術劇場に。この度の演劇内容は、第二次世界大戦中に活動していたある劇団に纏(まつ)わるものでしたが、B29襲来、爆撃、防空壕の話題が出る度に拙僧、わが寺の檀家さんの事を思い出しながら見ておりました。
もう20年以上前になりますかね、拙僧が40代の頃、90代半ば(当時)の檀家婆様が他界し、その葬式後に初七日の取り上げで、自宅の方へ赴いた時のこと、子供達が、まあ、子供達といっても皆、70代(当時)ですが、その長男さんが拙僧に「東京大空襲の時、私達の家族は皆、東京に住んでおりました。空襲警報が鳴ると、家族は皆、最寄りの防空壕の中に。ある日、その防空壕の前で爆弾が。爆風と共に色んな破片が防空壕の中へ。その時、父親が咄嗟に母親を庇って、爆風を自らの体で受けて。その父親の体を何かしらの破片が貫通し、母親の体にめり込みました。父親は即死でしたが、母親は父親のお陰で命だけは。その数十年後『母親の体にめり込んだあの破片、どうしたのかな』と、ふと思い、母親にその事を尋ねると『もう手術したよ』と。でも、母親が手術したという覚えがないし、疑問は抱きまがらも、その時はそれ以上は、追求しませんでしたが」と。
続けて長男さんが「通夜の日の朝、家の中で探し物をしていた時、偶々母親の日記が出てまいりまして、皆で『ああだ、こうだ』と思い思いの事を言いながら、手を止めて読んでおりますと、その日記の中に『私のお腹の中には今も、主人のお肉通しの破片が入っております。この破片は私にとっては宝物です。目を閉じるその日まで、主人と共に生きていきます』なる一文が。火葬後の収骨の時、本当かな、と思いながら遺骨の中を探してみると、なんと本当に金属の破片が。皆、言葉を失い、しばらくの間、沈黙となりました。住職さん、母親は父親亡き後、再婚もせず、5人の子供を1人で育ててくれました。住職が葬儀の後の法話で遺族、会葬者さんに『葬式は故人の、人間卒業式。お疲れ様でした、の慰労会ですよ。故人にお世話になったは、家族、親族だけに非ず。故人にお礼を言わにゃならん人が、他にも数多に。家族葬にすれば、その人達の恩返しする場所を奪う事に。最期ぐらいはみんなで、故人を労って送ってあげましょうや』と。本当にそう思いました。住職、夫婦の絆って、何なんでしょうね」と、その婆様の長男さんがしんみりと。
過去の思い出を蘇らせてもらえるご縁って、日常生活の中においても、結構沢山ありますよね。拙僧にとっては、このお芝居がそうでしたが。これは余談ですが、日本人の平均寿命って、縄文、旧石器時代が、15歳前後と。古墳、弥生時代が、20歳前後と。飛鳥、奈良、平安時代が、30歳前後と。鎌倉時代が、25歳前後と。室町時代が、15歳前後。室町時代はやはり、応仁の乱を皮切りに戦国時代へと流れていったが、大きく影響したんでしょうね。安土桃山時代が、30歳前後と。江戸時代は、40歳前後と。明治、大正時代が、45歳前後であったとの事。昭和30年の頃は、65歳前後で、平均寿命が80歳を超えたは、平成の時代に入ってから。戦時中の昭和20年前後は、30歳前後と。この時、平均寿命が下がった理由は、言わずとも知れておりますが、戦没者(兵隊さんも含む、戦争犠牲者)によるものでしょうね。
思えば、大戦でボロボロにされたこの国(日本)が、昭和20年(終戦の年)から昭和43年の僅か23年で、世界第2位の経済大国に。日本人の努力、勤勉さが、伺える事例ではありますが、何といっても、その時の最大の功労者は、5人、10人と産んで育ててくれた女性陣の働きにて。それも、世界第2位の経済大国に押し上げる事の出来る、素晴らしい人材を数多に育て上げた、という事ですもんね。この法話の中の婆様も、その功労者の1人という事にて。武田信玄公が言われたとされる『人は城、人は石垣、人は堀』は、真理の中の真理。国を支えるその『人』というが現在、この国は段々と。
【付録】
拙僧はこれまでに、約10年間でSNSに3000話の長短法話、また、法話の本を3冊、世に出させて頂きました。そのご縁がきっかけとなり、テレビ(約半年、週1回)、ラジオ、新聞、雑誌などや、教育委員会、学校、幼稚園、病院、老人ホーム、デイサービス、町内会老人の集い、倫理法人会、他宗寺院、葬儀斎場、社員研修などへの講演(北九州在住の拙僧が、遠方では九州南部、関西、関東、北陸、東北まで。尚、檀家は千葉県にも)にも呼んで頂き、方々で法話交流を。あらゆる話とまでは言えませんが、様々なジャンルである程度(仏教仏事系の他にも、癒し系、漫談系、人生系、目から鱗系、子育て系など)の話が出来ると思いますので、何かのお役に立ちそうでしたら、時間調整の許す限り、集いの大小問わず(参加者数人でも)足を運ばせて頂きますので、お気軽に、facebook、X、Instagram のメール(コメント欄)で、お声を掛けてくださいませ。勿論、この様なお話でいいなら、でございますが。拙僧も今年で62歳です。父親の他界年齢を基準にすれば、あと僅かに10年。これより先の残された時間は、1人でも多くの人のお役に立てれば、との思いです。『今、自分に出来る事を、今やる』ですね。
下記で拙僧の過去の法話を読む事が出来ます。興味がございましたら、是非。
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【追伸】尚「法話が長い」と不快感を示されておられる方々には、大変心苦しく申し訳ないので、拙僧の法話が目に入らない様に『ブロック』をさせてもらっております。楽しみにされている方々もおられますので、ご理解頂きまして、それでどうか、ご容赦くださいませ。
次回の投稿法話は、11月25日になります。添付写真は、北九州芸術劇場。
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