1分で読める小さなお寺の法話集

子育て、人材育成に関する法話を実話と歴史から紐解いて書いております。

【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に。2358話目】 勉強が出来る事と、勉強を教える事では、意味が違う。また、野球が出来る事と、野球を教える事では、まったく意味が違う。

2022-02-19 09:37:43 | 法話
檀家若者が「会社が私に講師をやれ、と。何か注意すべき点はありませんか」と。「講師は前勉強してるから知識が。が、聞き手はそうでは。全体に質問をぶつけるはいいが、個人に『貴方、どうですか』は、あかんかな。質問が来るに恐怖感を抱いて、目も耳も心も背ける様になる。質問したら即、自分の見解を述べな」と。

【追伸】
この若者が「住職がされている法話も聞き手に質問は、あかんのですか」と。「あかん。予習して臨む学校の勉強とは違うんだから。特に拙僧らの精神分野は、それぞれ人が持っている答えは違う。生い立ち、現在の環境、体調と、置かれた立場が各々違う。個人においても、時が流れるにつれ、知識、知恵、経験が増すにつれ、答えは変わってくる。『これ、正解』はないのに、質問して、出てきた意見に駄目出しして、個人の見解を押し付けるは、絶対にやったらあかん。子育てもこれに同じかな。この国は今『イノベーション、イノベーション(新発想)』と声高に吠える割には、人の意見を押さえ付け、自分の意見を押し付けてくる傾向が強いよね。SNSが普及してから特に、それが酷くなった様な気がする。講師として気を付けるは、その点かな」と。












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