2011年3月11日14時46分、拙僧は妻と博多駅に。凄い揺れを感じ、震源地が宮城県牡鹿半島三陸沖と駅構内のモニターを見て驚いた。ここは九州、どんだけ大きい地震なんだと。その日、用事で他府県から宮城に来ていた人。その日、用事で宮城から出ていた人。人間の寿命とはいったい、何が基準なんだろうか。
【追伸】
3月20日前後、彼岸参りに檀家の家に伺うと、宮城に嫁いでいた娘さんが、2歳と3歳の女の子と一緒に実家にいた。向こうでの状況を尋ねると「新築の家が津波に呑み込まれるを見ながら、家族4人で必死に高台の方へ逃げました」と。聞くとこっちでは、実家には入らず、アパートを借りて、ストーブと必要分だけの生活必需品を持ち込み、親子3人で住んでいるという。「何故、実家に入らないんだ」と尋ねると「向こうでは主人も多くの人達も野宿しながら、必死に後処理を。私達だけがぬくぬくと暮らす訳には」と。これが経験者と未経験者の温度差か、と。北九州では当時、首を傾げる出来事が。市庁舎の前で「絆、絆」と声高に。ところが東北から廃材、それも放射性物質に汚染されてない廃材を持ち込むと言った途端に反対運動が。「何なんだ、いったい。自分に降り掛からん内は綺麗事を。降りかかってきた途端に掌を返して。他人事は所詮、他人事。対岸の火事は所詮、対岸の火事なんだな」と悲しい気持ちになった覚えが。

※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます