

【 8月20日投稿分 】
この仕事(住職)をしておりますと、様々な面白い縁がやってまいります。もうかれこれ10年以上前の事ですが、ある大手スーパーの社長(当時80歳くらい)が、書店で偶々、拙僧の法話本を手に取り「こいつ(拙僧の事)は、面白い坊主だな。近くだし、1度会ってみるか」で呼び出された家が、そりゃ、ものゴッツでかい家でして、床の間に通されると、縦150センチ、横100センチ程の大きな神棚が4つ(明治神宮、宇佐神宮、伊勢神宮、出雲大社)、お祀りを。社長が拙僧に「これ、どう思うや。屈託のない意見を聞かせろ」と。言葉遣い通りの豪傑。対し、拙僧「この神棚、触ってもいいですか」と許可を得て、閉じていた扉を全部開け放すと「何でや」と社長が。「両手でわが目を覆ってごらん。鬱陶しいでしょうが」「んんっ、確かに」と、しばし無言に。
更に、この社長が「ところで住職よ。わしは今、癌でな。医者は言い難いのか、はっきり物を言わん。これこれこういう状態なんだが、わしは助かると思うか」と。「その病状じゃ、難しいでしょうね。が、1000人近くを葬儀、それ以上の人の『生き死に』に関わってきた経験からして、人間は、死ぬ時は、死ぬ。如何に、死にとうても、死ねん。人間は間違いなく、寿命。病気じゃ、死なないかな」と。すると社長、仁王さんみたいな顔で、ニコッと笑って「わしに対し、ここまでズケズケ物を言う奴は初めてじゃ。あんた(拙僧の事)、気に入ったわい。毎月、ここに来てくれんか」と。そこからの縁で、社長が他界するまで7年間、お付き合い(神棚、仏壇参り)を。
その7年間の間、様々な話が交わされましたが、それを全て書けば、膨大な量になるので、1つだけ『ほう』という話だけを書きましょうかね。
社長が「住職よ、わしは若い頃、田舎(生まれ里)で小さなスーパーから始めて、今日までに築き上げてきたが、10年程前、倒産の危機に見舞われ、先祖代々の土地を泣く泣く売却する事になったんじゃ。それが数十億で売れたが、借金を全て返済したら、残りがたったの400万円になった。その内の200万円は、長い間苦労を掛けてきた女房に『好きな事に使え』と。そんな事を言っても、無駄遣いをする様な女房ではないがな。残りの200万円は、その土地、その土地で、商売をさせてもらってきた事の御礼報謝として、10店舗が建つ土地の氏神(八幡様)さんに、数十万円づつお賽銭を。大学から戻ってきたばかりの息子(現社長)が『何という事をするんだ』と猛反対されたが『これだけは、わしの気の済む様にさせてくれ』と頼んだんじゃ」と。
この事について、後に現社長(息子さん)から「住職。あの時、親父は、残りのお金を全て氏神さんの賽銭に。当時は『なんて事を』と思ったが、今の繁栄は間違いなく、あの時から始まったような気がする」と。これは、拙僧の憶測だが、恐らく社長(親父様)は『人間は裸で生まれてきたんだ。やり直そうと思ったら、丸裸になるが最も早い近道』と思われたんではないかと。縁あった7年間の付き合いから、恐らくこの親父様(初代社長)は、そういう風に思われたんではないかと。
因みに、この社長(親父様)と、現社長(息子さん)は『拙僧との縁は、自分だけのもの』とお互いが、そう思っておりました。お2人ともが、同じ書店で偶々、拙僧の法話本を手に取った事が、始まりの縁にて。縁とは実に、面白いもんですね。拙僧も「親父様(初代社長)を知ってますよ。7年間、ご自宅の方に毎月、伺っておりましたよ」とは、ご本人(現社長)には、話してなかったですもんね。
この大手スーパーの現社長(息子さん)に依頼され、拙僧、社長100人程の前で講演を。その時に「求人広告で『経験者優遇』の表示は如何なものですかな。経験者が仕事が出来るとは、経験者が真面目に仕事をするとは、限らんでしょ。『育てる』という一手間を嫌って、未経験者を直に確かめもせず、面接段階で切るは、将来の会社にとって、大変な宝となるやも知れん逸材を、みすみす逃す事になりはしませんか。やる気のある未経験者は、やる気のない経験者を、あっという間に追い抜いていきますよ。昨今、就職しても、数年でコロコロ職を変わる人が多いそうですね。選択の自由、と言えばそれまでですが。そう考えると、求人においての年齢制限は、あまり意味がないのではないかと。数年で辞めていくなら、使える(仕事が出来る)60代、70代は、沢山おりゃせんですかね。求人で呼びかけて、その年齢で面接に来るという事は、意欲があるという事でしょ。老齢化社会のその中で、会社の宝となる老齢者が。若い人達にも良い刺激に」と。
【余談】
就職の話が出ると、いつも思うのですが、医学部受験も、またその如しかな。受験だから、学力試験の点数は、合否の基準になるは仕方のない事だが、僅か数点差で落とされた中に、将来『神の手』となる逸材がいたとしたら、医学の世界(患者にも)にとっては大損害に。外科志望は、試験前に何かしらの手立て(器用さを調べる)を。わが寺の宮大工棟梁(現99歳)が「手の器用さは、如何ともし難いものがある」と。以前、山中伸弥医師(ips 細胞)が「私は外科志望だったが、手の不器用さは如何ともし難い」と、別の道を模索されたと言われておりましたもんね。
それと、今1つ。国立なら、医学部でも6年間、350万円程で済むが、私立医学部になると、安くても2000万円。色々クリアー出来る策は取られてはいるが、実際は授業料以外の出費(多額の寄付金など)が。檀家の中にも、私立の医学部に行った者が何人かいまして、ある檀家は、親は家を売りましたもんね。志を貫くにも、まずはお金が必要。志はあっても、お金がなくて、それを貫けない。どれほどの逸材を逃してきたんだろうね、医学界は。医学界に限らずですが。何とか、ならんもんかな、日本の教育。
先日、読者が「住職さん、今日、過労自殺された若手医師のニュースが」と。「見ましたよ。わが寺の檀家にも医師、看護師の人が何人かおらっしゃいますが、とんでもないくらい疲労困憊を。何回か代議士さんに「拙僧知人の医師、看護師さんが『給料を下げてもいいから、今の倍の人材が欲しい』と言ってますよ。将来は、老人だらけに。『立派なお寺があっても、そこに良寛がいなきゃ、何にもならん』という言葉が。医師、看護師を増やしましょうや。様々な問題をクリアーして。人材を、育てる、探すは、組織の上に立つ人の役目ですばい、と進言した事が」と。
拙僧、方々の看護協会からこれまでに、10回以上講演を依頼されました。この度もオンデマンドで。10月にお寺に来られ、法話の撮影をする事に。講演依頼の内容は、看護師さん達が疲労困憊で、何か、元気が出る様な話をくださいとの事。働き方改革という言葉を耳にして久しいが、労働時間の短縮は、人材を増やすしかないかな。
次の投稿法話は、8月25日になります。
【8月15日投稿分】
一昨日(8月13日)、昼過ぎにわが寺の檀家(重鎮)男性が86歳を一期として、この世を去って逝かれました。男性は、裸一貫で会社を起こし、拙僧父(先代)の時代から、拙僧の時代まで50数年間、1度も欠かさず毎月1日、朝5時にわが寺へ参拝を。ご祈願も事業繁栄を願うではなく、従業員の身体健全、家庭円満のみを。男性曰く「従業員が心身共に健康で、各々の家庭が円満であるならば、わが家庭を守る為、自ずと仕事も真剣に取り組む様になる。わざわざ会社の繁栄を願う必要などないよね」と。そういう社長の心を授業員さん達は皆、知っていたので、社員も会社に愛着を持っているようで。これと同義の会社数社(熊本など)に拙僧、毎月1日には、安全祈願に何十年も足を。
13日の夕刻、自宅の方へ枕経に。その時、最期の様子を伺うと、全身癌でありながら、痛みは殆どなく、眠るように息を引き取られたとのこと。これも、この男性の人徳かな。ご家族が「実は住職、恐らく会葬者は300人を超えてくるものと。が、関係者の大半は盆休みで、各々用事で留守に。その人達を抜きに葬儀などしようもんなら、必ず『なんでよ、なんでよ』と後から、恐らく怒られる事に。ほんと、有難い事ですよね。昨今、お世話になった人のお通夜、告別式にも『もうこの人(故人)から、何もしてもらえないから』と会葬に顔を出さない人が増えてきたという時代に。よって、お通夜を盆明けの16日、告別式を17日と考えたのですが、それが、その日(17日)が友引でして。友引の日に葬儀は、やはり駄目ですよね。どう思われますか、住職」と。
対し、拙僧「友引の日に葬儀をするは駄目、など、仏教の中ではそんな事、何も言ってないんだけどな。仮に、友引の日に1000人の葬儀をしたら、1000人があの世に連れて逝かれるっていうの、という話。そんな事はないでしょ。なれど、多くの会葬者の中には『友引の日に、葬儀をするのか』と嫌がる人も一定数はいるんじゃないのかな。『お世話になったから、故人を送らせて頂こう』と来られる人に、そんな嫌な思いをさせるは、遺族側としては申し訳ない、という事から、友引の日を避けるというは、あり、かな。49日法要も、また、同義。3ヶ月にまたがらない方がいいと、『苦が身につく』という昔からの言い伝えが。これもただの語呂合わせ、にて。まあ、家族で決めたら」と。家族はその場で話し合い、友引の次の日の18日に、告別式をする事に決定。13日に亡くなって18日に葬儀を。夏のこの暑い時期に、遺体の管理が大変ですね。東京近郊では火葬場不足で、随分(何日も)と待たされているとの事。死んで逝くのも、大変ですよね。
このご家族が選択した葬儀のやり方(会葬者側の事を考えた)に似た、某家族の葬儀の話を以前、SNS に投稿したところ、そのご家族が下した選択(葬儀のやり方)に対し、文句を付けてきた読者が、何人かいましたね。人(他人)の家の事情の事なのに、自分の主観を『これが正解』であるかの様に、ああじゃ、こうじゃ、と押し付けてきた人達が。こんな人は、自分の考えと違う事には、何にでも噛み付いてくるんでしょうね。
この友引の話の後、このご遺族が「ところで住職。私達の耳にも『悪霊祓い、祟り封じ』などで、拝み屋さんに高額供養料(祈願料)を収めた、なる話が入って来ていますが、悪霊が襲うとか、先祖が祟るとか、そんな事って、本当にあるんですか」と拙僧に。「例えば、だよ。本当にそんな事がある、と仮定(地獄、閻魔、悪霊、祟り)しての話だよ。悪霊になるという事は、人間の時代に、悪霊になる様な悪さをしたから、悪霊になった、と考えるが妥当でしょ。悪さをした人は当然、地獄に堕ちて閻魔に接見を。人間界で何かしらの悪さをして地獄に来たのに、また、人間界に赴いて、悪さをするの。それを閻魔が『おう、おう、やれ、やれ』と黙って見てるっていうの。そうであるとしたなら、閻魔の存在価値なんて、何もないやん」「ですよね。• • • という事は、悪霊なんていない、という事ですよね」「拙僧は、いないと思うけどね。悪霊になっているというその人(故人)に、24時間四六時中付き纏って、その人の人生(生き様)を、ずっと見てきた訳でもないのに、如何なる根拠(確信)を持って、その人(故人)を『悪霊、化け物』呼ばわりするのか、いやはや、訳がわからんよね。失礼にも程があると思うよ。先祖を愚弄するのも、大概にせにゃあかん」「まったく、そうですよね」と。
続けて、拙僧「まあ、そんな話はここまでにして、とにかく18日は、しっかりとお父さんを送らにゃあかん。お父さんの『人間卒業式』だからね。葬儀の最後に遺族が、お礼の言葉を述べるは、本来なれば故人は、生きている内に、お礼を言っておかなければいけない人達が沢山いたのに、殆どの故人はそれを言えずに、この世を立つ事になる。『私(故人)の代わりに、お世話になった人達に、すまんがお前の口から、故人に成り代わりまして、とお礼を言っとってくれんか』が、葬儀最後の遺族答礼。そう考えると、お通夜、告別式は『有難うございました』の交換会にて。大事な事だと、思いますけどね。こんなよか風習が昨今、徐々に、徐々に、この国(日本)から。これでは、人間関係が希薄になっていくも、仕方のない事なのかな、と思うよ」と、このご遺族に。
お通夜、葬儀の打ち合わせ(枕経時)の最後に、4人いる子供さんの45歳の次女さんが泣きながら「3日程前、お父さんに『英照(拙僧)さんは、お盆の三ヶ日は忙しいから、そこは避けて向こうに逝かないと、迷惑を掛ける事になるからね』『わかった』と会話していたのに、よりにもよって、お盆の初日に逝くなんて。『ご臨終です』と医師に告げられたすぐその後、お父さんに『何やってんの』と、その事の文句を」と。「8月13日なんて、大半の人は『お盆』と知ってる有名な日でしょ。俺の事を忘れるなよ、じゃないの」「実は不思議な事に、お父さんには、どれもこれも『1と3』の数字が付き纏うんだよね。生年月日も、昭和13年10月3日でしょ。両親が結婚して最初に借りた風呂無しアパートも、103号室でしょ。他にも様々『1、3』の数字が常に絡んで。まさか、他界日も『13』になるんじゃないか、と思って『お盆中は、駄目よ』と言ってたんですけどね。見事に13日に。偶然とはいえ、何とも面白い縁ですね」と。
帰り際に拙僧「あっ、もう1つあった。戒名ですが、お父さんの人生を漢字1文字で表すとしたなら、何という字を当てはめますか。戒名を授ける時、遺族の方々に毎回、聞いているんですが」と。すると長男さんが「父は常に人に恵まれた人生でした。会社を起こす時も、ここまで会社を維持出来てきたも、多くの人に支えられて。『豊』という漢字が相応しいかな」と。すると、今度は次女が「父は常に人から好かれ、父の周りには常に人集りが。寛容の『寛』を入れてもらえれば」と。「了解です。その2つの漢字を戒名に使おうかね」と。枕経での時間はずっと、泣き笑いの楽しい時間でしたね。戒名は『豊○院寛○一道居士位』としました。100年後に、この戒名を読み取れる住職が座っていたなら、100年後のこの家族の子孫に、戒名の意味を説明してくれるでしょう。因みに、わが寺では、戒名料はいただいておりません。
【追伸】
この投稿写真(添付)は、わが家の仏壇です。仏壇って、いいですよね。お客さんをお通しするその家の1番大事な部屋に仏壇が、整然と安置されている姿は、見ている(存在)だけで、心が癒され、落ち着きますよね。何よりも勝る風水かもしれませんね。仏壇は、感謝の心の表れですもんな。その部屋に通されたお客さんも「親を、先祖を、こんなに大事にする家族なら、間違いなく信用、信頼出来る、決して裏切る事はないだろう」の基準にも。実際、知人の社長さん達は、それを基準に商談相手を図っておられる人も。
次回の投稿法話は、8月20日になります。
【 今日の臨時法話は、昨年の8月16日に投稿させて頂いたものです。毎年、この時期になると、老若男女問わず「閻魔大王って、本当にいるのか」の質問を少なからず受けます。閻魔がいるか、いないかを、確かめにゃならん生き方をしてるって事かな。自覚があるなら、閻魔がいないを望むより、生き方を改善した方がいい様な気がしますね 】
盆参りに伺うと小学生が「僕の曾祖父ちゃん、明日(8月16日)、家に帰って来るんだって」と。「誰がそんな事を」「父ちゃん」「どうして、明日なの」「地獄の釜の蓋が開くんだって。閻魔大王のお休みの日で、鬼達もその日に休みを取るんだって」「ほう、そうなんだ」「ほう、って、住職、洒落だって事ぐらい、僕にもわかるよ」と。
実際、この曾祖父様、破天荒な人生を歩んだ人でね。拙僧との付き合いも、随分と長かったよね。浮気だけでも、何回やったかな。昔から言われる『飲む(欲に溺れる)、打つ(ギャンブル、お金にルーズ)、買う(異性にだらしない)』は三大因縁と言って、そう簡単に治るものじゃない。この曾祖父様、働かん、家には帰らん、博打に借金と。こうなっちゃいかん、の手本を子孫に示すが、この曾祖父様が生まれてきた役目だったのかな。拙僧はこの破天荒さが、大好きだったが、家族は大変だったね。お陰で曾祖父様以降の3代(子、孫、玄孫)は皆、人格も頭脳も優秀。子孫は皆、曾祖父様を反面教師として、捉える事が出来たんだね。ただ、当然の事ながら、悪いところばかりではないですよ。家族以外の外に向かっては、大変人に好かれた人で、葬式の時には300人を超える人達が会葬に。葬式というは、その人の生き様を一発(会葬者の数、コロナ禍全盛期は別)で表しますもんね。故人から世話になった人達は必ず、御礼報謝の法要であるお通夜、告別式には顔を出しますから。
学校講演では常に「短所を押さえ付けたら、長所も萎むよ。長所も、短所も、癖も、生きていく為に、天から与えてもらった道具。それを活かす、活かさんんは、本人次第だが。親の勝手な主観で、その子の善悪を決め付けたらあかんよ」と保護者達に。この曾祖父様じゃありませんが、当に『悪に強い者は、善にも強い。とことん悪い事をする人間は、とことん善い事もする。中途半端じゃない』という事かな。因みに、正月三ヶ日と盆三ヶ日は、同義にて。その精霊月の16日は、昔は奉公人の休日に。藪の深い実家に、里帰りを許される事から『藪入り』なる呼称が。
檀家の子供達から、お盆月になると度々「閻魔って、本当にいるの」と、恐る恐る問い掛けが。「さあ、拙僧、死んだ事がないからな。でも、いたらどうするよ。死んだ先で、本当に閻魔がいたら。そん時はもう間に合わんぞ。もし、あの世に閻魔がいても慌てない様に、この世で、親孝行しとけ、爺ちゃん、婆ちゃんに優しくしとけ、友達とは仲良くしとけ、嘘は付かず、正直にしとけ、なれば、あの世に逝った時、本当に閻魔がいても、慌てる事はないわな」と。この言葉、子供達に限らず、大人達にも、少なからず影響が。
次回の投稿法話は、通常通り8月15日になります。