昨年と同様の日常が戻ってきました。今日は時より風花の舞う1日
でした。頂いた年賀状100枚程ををもう一度見直して見ました。中に1枚
昔の教え子(60年近く前)から毎年届くのがあり、「同級生に会い、先生
のことを話したら、会いたいなあ。」と、添え書きでした。
うれしいなあと思い、葉書をくれた教え子に電話しました。昭和30年で
最初の赴任地です。団塊の世代(昭和22年生まれ)で4クラス1学級52名
の頃でした。同級生の子の名前をかなり聞き、わたしも覚えていましたが、
中にはすでに亡くなった子もいました。またそれぞれ結婚したけれど夫を
亡くしている子も何人かあり、長い年月を感じました。
わたしが元気でいることで「一度土地に住んでいる者だけでも集まろう。」
と声を掛けるからと、年初めありがたくうれしい電話の話に、元気にいること
のありがたさを思いました。
もう1本の電話は午後からカーブスへ行き、帰ってきたら伊勢の友だち
Nさんからの電話でした。3年前まで行っていたフィットネスクラブ「メッツ」
での長い友だちです。 昨年も年賀状を頂いているので今年も出しました。
Nさんは(わたしより1歳上の女性)年賀状を書こうと思ったけれど電話
で話したいのでと長い電話での話となりました。
昨年2月に突然脳梗塞を起こし動けなくなり日赤病院へ運ばれ半年ほ
ど入院していたと言うことでした。
脳梗塞を起こすようなタイプではなかっただけに驚きでした。少し血圧
は高かったようですが、メッツで水泳も20数年していて、その他公民館で
の歌の教室や10年ごろ前までは大学の社会人講義なども出かけたり、
源氏物語の講座などと積極的に行動するタイプでした。
今はまだ足(右足の麻痺だった)のリハビリーに整形外科へご主人
の送り迎えで通っていると、・・・血管の病気だけは突然ですから分から
ないです。今までは自転車には乗っての行動でしたが、今は手押し車で
お買い物です。
それでも早くに対処できたので快復が早かったとのことでした。
住まいが便利な所で日赤も近く、スーパーもすぐ目の前にあり、わたし
のように田舎住まいとは違うからいいですが、80歳近くともなるといつ何が
起きるか、我が身を思うと他人事ではないです。
脳梗塞の症状
わたしの身近にもここ1~2年にわたし同様の齢で脳梗塞で倒れ半年
ほど施設や病院で治療したと言う女性が2人聞きましたが、今はかなり
快復し普通の日常生活を送っているようです。しかし車は乗らなくなった
と聞きました。気をつけていても起きるときはあり、困ったものです。