2006年に初版、そして今また再販され、12月には映画の封切もされる
と言う百田直樹さんの「永遠の0」(事実に基づいた物語)です。
わたしは軍国少年少女であっても兵士の出征を送っただけで軍隊(陸海軍)
の戦いは本や映画で見るだけで殆ど知らないです。
この本では「生きて妻や子どもの下へ帰りたい。」と生への執着の強か
った零戦のパイロットで周りから臆病とさえ言われていたのに何故自分
から戦闘機に乗り散っていったのか・・・・・・
そのルーツをたどって孫姉弟が生き残った人たちを訪ねて話を聞き出し、
当時の祖父の本当の姿を浮き彫りに、していく物語です。・・・彼ほど零戦
操縦士として天才だったことなども・・・・
零戦について知ったこと
ー零戦ー何故この名が付いたのか、皇紀(今は西暦ですが)2600年
に作られ末尾の0をとったそうです。正式名は「三菱0式艦上戦闘機」
ちなみに200年はわたしは6歳で ー紀元は2600年嗚呼一億の・・・と提灯
行列を覚えています。
鹿児島県知覧特攻記念館には使用されたゼロ戦闘機が置かれていました。
戦闘機としてのゼロ戦はすばらしく撃墜成果などアメリカ、イギリスなど
からも怖れられ、空中戦の場合ゼロ戦を見たら逃げよと命令されていた
ほどであったと、アメリカでは「カミカゼアタック」と言われ沈められた艦艇
も多く、何千人もの人が1人の日本人によって死に至る悪魔とさえも言
われていました。
真珠湾に始まりラバウル、ガダルカナル,としかし、ミッドウェー、サイ
パン沖縄戦と神風の護衛戦はなくアメリカの高角砲を持つ最新式戦闘機に
よりゼロ戦も最後を・・・・・しかしゼロ戦のパイロットの超人的なテクニックと
集中力、勇気は「日本にサムライがいたとすれば彼らがそうだ。」と戦った
後のアメリカの艦長の言葉でした。
現在の若い人たちの見方として、特攻=テロリスト(9,11貿易ビルに
突っ込んだ人たち)と同じだと・・・熱狂的な愛国者と殉教者と言う共通点?
しかし当時の日本は死を怖れない、国のために命を捧げることが出来ると、
一億国民洗脳されてもいました。神風特攻隊=死だったかも・・・・・
多くの人の犠牲の上での平和な世の中はありがたいです。