息子が幼稚園に通うようになってからは、時々、保健センターでの発達支援相談を受けていましたが、息子が年少さんの夏、私の父が大腸癌になり、さらに、手術後の合併症で脳炎を患い、息子よりも、私の父親中心の生活になってしまいました。
母は、くも膜下出血によりすでに亡くなっていたので、私が、父に付き添うことになりました。
父は、点滴を抜いたり、暴れたり、また、大腸癌の手術で取り付けられた人工肛門を理解できず、外そうとして汚物まみれになるので、出来るだけ付き添ってほしいと病院側から言われたからです。
付き添いがいない時は、拘束着を着て、ベッドや車椅子に固定されたままになってしまうので、回復期病院に転院できるようになるまでの間、私は、毎日片道40分かけて病院に通っていました。
父は、私の顔を見ても分かりませんでした。でも、娘だというと、思い出したのかどうかは分かりませんが、受け入れてくれました。
私の主人はもちろん、孫である息子のことも分かりません。
息子を連れてくるたび、「どこの子や~?」と言ってました。
脳炎により、高次脳機能障害を持つようになった父の父でないような姿に、私自身ショックで、これからどうなるのだろうという不安を隠せませんでした。
それを、息子が敏感に感じとってしまったのか、息子の夜驚が始まりました。
夜中に、突然目を覚まし、パニック状態になって暴れまわるのです。
「おかあちゃん! どこ? どこ~!?」と言って、泣き叫ぶのです。
「おかあちゃんだよ、ここにいるよ!」と、いくら私が言っても、名前を呼んで抱きしめても、見えてない聞こえていないようで、私を振り払い、暴れようとするのです。
壁や家具に頭をぶつけないように、息子を必死で抱きしめるしかありません。
「だいじょうぶだよ。ここにいるよ」と言って・・・
小児科の先生から、このパニックが「夜驚」というものだと聞きました。
成長すると、自然に治ることが多いということも。
息子の夜驚は3ヶ月続きましたが、その後は、一度も起こっていません。
その頃、父も回復期病院に転院し、私の通院も一日おきのペースになり、少し余裕が出てきたからかもしれません。
余談ですが、息子は、2年生から、私のことを「ママ」と呼ぶようになりました。
「あのな~、お願いがあるんやけど・・・、『ママ』って呼んでいい?」
「ええよ~ 『ママ』って呼びたかった?」
「うん!!」
ちなみに、父親は、おとうちゃんのまんまです。
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