鈴木大介さんの「脳は回復する 高次脳機能障害からの脱出」を読みました。
作者は脳梗塞を発症し、高次脳機能障害を持つようになられた方です。
元々ルポライターをされていて、「最貧困女子」など社会的困窮者を題材にした本を書かれています。
その彼だからこそ、高次脳機能障害を負って、それゆえの様々な苦しさを文章に表し、自分で自分をコントロールできないもどかしさ、理解してもらえない辛さ、それをかつて取材された社会的困窮者の様子に重ねて考察されています。
私の父も大腸癌の手術後に脳炎を発症し、高次脳機能障害を持つようになりました。
それから約3年間、回復を願って父と関わってきましたが、突然変わり果てた父に何が何だか分からず混乱する毎日でした。
「ああ、こういう風に感じていたんだ。」
「こんなことに困っていたんだな。」
と、父を思いながら読んでいました。
鈴木さんが言葉にならないあまりの辛さに、「みゃああああ」という意味不明な叫びをあげて奥様のもとに駆け込むと、「そうかあ、辛いよね」と、奥様が背中をなでてくれるうちに落ち着いていく・・・。
なんか涙が出てきた。。。
鈴木さんの奥様は発達障害を持ち、その苦しさからリストカットを繰り返した時期もあったそうで、そんな奥様だからこそ鈴木さんの苦しみをそのまま受け入れ、鈴木さんも障害を受容し乗り越えていくことが出来たのだと思います。
私には出来なかった。。。
「こうあるもの」
「こうした方がいい」
「気の持ちよう」
「こうしたら楽なのに」
父のことを思ってはいたけれど、常識や自分の思いの中でしか考えることが出来ませんでした。
「脳コワさん」(奥様命名の、精神障害や発達障害・認知症なども含めて高次な脳機能に不全をきたす人々のこと)の苦しみは、目に見えなくても、理解し辛くても、「苦しい」と訴えるときは、本当に苦しんでいるのです。
たとえ言葉に表すことが出来なくても、苦しんでいることがあるのです。
まずは、父の苦しみをもっと思いやろうとするべきでした。
自分が無意識に高次脳でコントロールしていることは、それが出来ないときの不自由さや苦しみはなかなか想像することが出来ません。
それは、単に何かが出来なくなるだけではなく、不具合を感じているような、ざわざわしたり、イライラしたり、落ち着かなくて、集中出来なくて、とてつもなく不安な気持ち・・・そう、息子の不安な様子にとてもよく似ているのです。
息子のカウンセリングの先生が、「不安やね」とか「こんなことが心配やったんやね」と、不安な状態を受け入れる言葉かけをした方がいいと言われたのは、きっとこういうことなのだと思います。
鈴木さんがユーモアいっぱいに紹介する高次脳機能障害による「困ったこと」は、父もそうでしたが、驚くほど息子にも当てはまり、少し息子の気持ちに近付けたような気がしました。
多分、父のことがあって、私はこの本を手に取ったのだろうし、何より父と過ごした3年間があったから、息子の理解できない行動にも「そういうこともあるんやろな」という気持ちで向き合うことが出来ました。
お父さん・・・。
お父さんの時はいきなりヘビーな経験で、心の準備が出来ないままどうしたらいいか分かれへんかったけど、お陰で〇〇にはなんとか対応してあげられてる。(かな?)
早くに支援機関に繋がることが出来たのも、お父さんのお陰や。
もっともっとお父さんのこと、分かってあげられたらよかったんやけど、私には3年は短すぎて、未だに本を読んで「そうだったのか~!」って、思ったりしてる。
今、私が頑張れるのはお父さんのお陰やで。
ありがとう。。。