やっぱり幸せ♪

日常の色んなこと、特に発達障害を持つ息子との素晴らしき日々を綴っていきたいと思います。

自宅で多動OK!

2015年06月30日 | 小さな頃の息子

息子は、筋肉や関節に感じる「固有覚」という感覚を受け止めることが鈍いらしく、体の動かし方がぎこちなかったり、妙に力が入りすぎて、乱暴な動きをしてしまうことがあります。

 

この「固有覚」が鈍いせいか、「体の内側に入る感覚刺激が足りなくて、感覚を満たしたい」という欲求が起こるそうで、どうしようもなく落ち着かなくなることがあります。

 

息子は、小さい頃から、部屋の中をぐるぐるぐるぐる歩き回るのが好きでした。

見ている私も落ち着かないのですが、発達相談の先生から、

「本人にとって必要なことだと思って、差し障りない限りやらせてあげてください」

と、言われていたので、好きにさせていました。

 

小さな頃は、まだかわいくて良かったです。

リビングには、一人用のトランポリンも置いているので、ピョンピョン跳んだり、歩き回ったり・・・

1時間ぐらいは平気で体を動しているので、よく疲れないなぁと感心していました。

 

だんだん大きくなってきて、狭い部屋の中を子グマのようにグルグル回っていると、圧迫感を感じイライラすることがあります。

加えて、小学生になってからは、ボールを使い出すようになりました。

 

ドリブルしたり、階段に向かって蹴ったり・・・。

さすがに、サッカーボールは音も振動も大きいので、100均で買ったビニールのボールを蹴らせています。

それでも、ポンポン音がするので、朝8時から夜7時までというルールを作りました。

 

「自宅で多動OK!」 結果的には、とても良かったと思っています。

 

運動の苦手な息子の運動不足解消と精神安定。

固有覚も、少しは発達してるのではないかと期待しています。

その上、息子がサッカーをするようになって、ボール慣れというのか、きっと役に立っていると思うのです。


笑顔のために

2015年06月28日 | 息子の広汎性発達障害と強迫性障害、適応障害

昨日は、「さわだメンタルクリニック」の診察の日でした。

 

薬が効いてないようなので、変更するとのこと。

フルボキサミンマレイン酸塩錠からレクサプロ錠に変更するのですが、一度に切り替えることはできないそうです。

今日から2週間は、リスパダールOD錠0.5mg(1錠)と、フルボキサミンマレイン酸塩錠12.5mg(1/2錠)、レクサプロ錠2.5mg(1/4錠)を服用することになりました。

 

息子が私にだけ強迫性障害の症状を見せるのは、やはり、学校などでいっぱいいっぱい頑張りすぎているから、私の前だけでは爆発してしまうのだそうです。

では、息子が不安がって、あれこれ私に言ってきた時に、どんな風に対応すればいいのか、先生に尋ねると、

「そういう状態になっている時に、何を言っても入りません。お母さんは、『うん、うん』と聞いてあげてください。まずは、薬で不安を取り除いてあげましょう」

と、言われました。

 

通級の先生が、学校での対応の仕方を病院の先生に聞きたいとおっしゃっているので、近いうちに一緒に病院に行くことになりそうです。

 

学校で困らないように、社会で困らないように・・・

息子が小さな頃から、そう思って、色んなことを教え、訓練を受けさせてきました。

息子は、素直でまじめで、本当に一生懸命取り組んできました。

そうすることが当然だと思って、頑張って頑張って、

「すごく頑張っていますよ。成長されましたね」

と、先生方にほめてもらって、親である私はホッとして、安心さえしていました。

 

でも、違った・・・

 

学校や社会でうまく過ごせているからといって、本人が困っていないとは限らないのです。

問題なく過ごすために、本人のエネルギーを使い果たしてしまっていたら、 「自分らしく」なんて言ってる場合ではありません。

 

ごめんね。

息子に大きな代償を払わせて、ようやく気付くことが出来ました。

 

お医者さんや各機関の先生方と協力して、息子が笑顔で過ごせる道を探していきたいと思っています。 


頑張りすぎないで・・・2

2015年06月26日 | 息子の広汎性発達障害と強迫性障害、適応障害

息子は、最近、「音」がすごく気になるらしく、自分の声の感じが普通かどうか、よく聞いてきます。

 

また、3DSの音量も気になるらしく、完全に消しているにもかかわらず、

「本当に消えてる?だいじょうぶやんな!」

と、私に聞きながら、何度も何度も音量を下げる動作をします。

 

また、何かにつけて、

「これでいい?本当にこれでいいの~?」と、何度も確認してくるのです。

 

例えば、サッカーのゲームで、2対1で勝った時は、

「1点入れられたけど、いいやんな。この勝ちって悪くないやんな」と、言うので、

「勝ったんやろ。勝てばいいやん!」と、私が言っても、

「ほんまに? ほんまに悪くない? 勝ちは勝ちと思ったらいい?」と、聞いてきます。

 

また、6時から宿題しようと自分で思っていたのを、これまた自分で7時に延ばした時には、

「別にいいよ」と、私が言ってるのに、

「ほんまに? ほんまにいいの?」と気になる様子なので、

「そんなに気になるんやったら、先に宿題してしまったら!」と言うと、

「そういうこと、聞いてるんやない。ほんまのほんまにいいやんな~!」と、しつこく聞いてきます。

 

「いいって言ってるやろ!!」

と、思わず怒鳴りたくなる時もありますが、聞いているだけの私がこんなにイライラ・うんざりするなら、不安で確認せずにはいられない本人は、本当にしんどいだろうなと思います。

 

薬が効かないのでしょうか?

いや、薬だけではダメなのでしょう。

息子が不安になる根本の原因が分かれば、対処の方法もあるのに・・・。

 

学校の担任の先生や通級の先生に息子の様子をたずねても、どうしてもゆっくりペースで人より時間はかかるものの、彼なりに本当に頑張っているらしく、問題があるようには見えないそうです。

 

また、確認を求めるのは私にだけで、主人にもありません。

息子がしんどそうに見えているのは、私だけなのでしょうか。

 

24日に子育て相談がありました。

毎月1回子育て総合センターに親子で通っていて、私が相談にのってもらっている間、息子は、セラピストさんに遊んでもらったり、話を聞いてもらったりしています。

 

相談室の先生は、息子は、表面的には問題なく頑張れているけど、自分でも気づかないうちに、自分の限度を超えるぐらい頑張り過ぎていて、息子の心が悲鳴をあげているのかもしれないと言われました。

 

サッカースクールの体験の話をすると、幼児ならともかく、9歳の男の子が突然電池切れになって動けなくなるのは、自分で自分のことが把握出来ずに、自分の限界を超えて無理しているからじゃないかと言われました。

息子が、喜々としてサッカーをトレーニングする様子と息子の体からのサインには乖離がありすぎるので、自分で自分のことが分からないからこそ、親はもちろん、先生方にも気を付けて見ていただく必要があるとも言われました。

 

息子のように広汎性発達障害やアスペルガー症候群と診断されている人の中には、強迫性障害などの二次障害に苦しむ人も多いそうです。

親が深く関われるこの時期だからこそ、良かったのだと思います。

 

だいじょうぶ! 絶対に治るからね!!

 


体験★サッカースクール

2015年06月24日 | 日記(息子・小4)

サッカーに興味を持つようになった息子は、4年生になったら、サッカースクールに通いたいと言っていました。
腕を骨折し、医者から「2ヶ月はサッカーをしないように」と言われ、その後も、体験の日に雨が続いて、ずっと延期になっていました。

ついに昨日、サッカースクールに行って来ました!!

 

本人は、張り切って張り切って、フルに頑張っているのだろうけど、一人だけマイペースでゆったりとした動き・・・。

一番心配していたのは、コーチの指示を理解できるか?

「次、〇〇やって~!」って、コーチの指示って、トレーニングで体を動かしている最中に、いきなり入るのです。

 

「分かってるのかなぁ?」って、はらはら心配しながら見ていたら、案の定、一人だけ足でのリフティングの練習を続けているので、思わず息子に「ヘディングしたら!」って合図を送ってしまいました。

息子から、「慣れるまで、これするって言われてる」という合図(多分)を私に送ってきたけど、
コーチが気付いて、「ヘディングで」って息子を促していたから、ヘディングでリフティングの練習する時間だったと思います。

 

でも、周りを見ながら、ワンテンポ遅れながらでも、息子は、一生懸命練習をしていました。

 

意外だったのは、1対1のディフェンスでは、初めてとは思えないほど上手に体を入れて、相手に負けていなかったということ。

ボール扱いは、初心者であり、不器用さもあり、全然おぼつかない感じでしたが、ディフェンスは、「結構やるやん」という声が上がるほどたいしたものでした。

体が大きいせいもありますが、サッカーのDVDを繰り返し観ながら、彼なりにイメージトレーニングしていたのでしょうね。

 

思いっきりボールを蹴れたことが嬉しかったみたいで、終了後、即決で入会を決め、しかも、週1回コースではなく、週2回コースをやると言い出しました。

 

本人がやりたいんだったら・・・と思いましたが、帰宅して、ご飯を食べているうちに、急に息子の様子がおかしくなり、だんだん電池がなくなっていく機械人形のようになってしまいました。

 

ぼーっと、ゆっくりとしか動けなくなり、まさに電池切れ寸前!
慌てて、お風呂に入れました。
息子は、もう体を洗う力も残っていないようで、とにかく急いで洗ってやり、お風呂から上がって、パジャマを着たら、布団に倒れ込んだかと思うと、そのまま爆睡してしまいました!!

 

サッカーの練習で、私が思うよりはるかにたくさんのエネルギーを費やしてしまったのでしょうか。

 

そりゃそうです。
耳からの情報を聞き取ることが苦手な息子が、運動場で、いつどこから出されるか分からない指導を聞きとり、みんなに合わせてトレーニングをするのです。しかも、2時間。

 

だいじょうぶかな。

もう一度、本人に聞いてみなくては・・・。

 


息子の気持ち

2015年06月22日 | 息子の広汎性発達障害と強迫性障害、適応障害

息子の強迫性障害、薬を増やしても、まだ改善がみられません。
1週間しか経ってないので、そんなにすぐには効果が出ないのかもしれませんが・・・。

 

息子は、小学校に入学してから、「アスペルガー症候群の特性があると思われる」と言われてきましたが、2年生の時に、正式に医師から「広汎性発達障害」だと診断されました。

社会性の発達・コミュニケーション能力に障害があり、強いこだわりがあるという特徴の他、感覚が過敏であることや、想像力の欠如など、全てが息子に当てはまっていると思いました。

詳しく障害の説明を受けたとき、
「この子は、人の気持ちが分からない子なの? 社会でうまくやっていけるの?」と、ショックを受けました。

 

でも、「人の気持ちが分からない」子は、「人の気持ちを考えない」子ではありませんでした。

「この言い方おかしくない?」とか、
「こういう時、こんなことするって普通?」などと、息子は、私にしつこいぐらい聞いてきます。

感じ方が違うから、着目する点が違っているから、友達の気持ちがよく分からなくて、息子は、誰よりも人一倍、周りに気を使っているように思います。

 

それはまた、『「お友達」と「自分」は、何かが違う』と、息子自身が気付いている証拠だとも思います。

 

「お友達の嫌がることしたらあかんで」と、常々、友達の気持ちを考えるように言ってきた私は、息子を必要以上に萎縮させ、縛り付けてきたのではないかと反省しました。

 

「『自分は自分』 でいいんやで!」

 

私自身、やっと、みんなと一緒じゃなくてもいいことが分かってきました。

「〇〇の思ったとおりにしたらいいねんで。人はみんな、何やっても、何考えても自由やねん。もし、それが、お友達が『そんなんやめて!』って嫌がることやったら、そのことは、やめよう。〇〇も、嫌なことは『やめて!』って、はっきり言ったらいいねんで!」

 

周りの人の気持ちを大切にすることはとても大事です。
でも、それ以上に、親である私は、息子の気持ちも大切にしなければなりません。

 

一日も早く、息子の強迫性障害が治まりますように・・・。

 


父の日

2015年06月21日 | 日記(息子・小4)

今日は父の日。

息子は、朝食を食べるなり、「ありがとう」のお手紙と、自分用のお菓子の中から「やまとの味カレー」という駄菓子を、お父ちゃんにプレゼントしました。

そして、昨日の夕飯は、父の日一日前倒しで、「カルビの王様」で焼肉を食べてきました。

 

お父ちゃん、いつもありがとう。

でも、もっともっと、息子のことを支えてあげてね。

 

昨年のワールドカップから、息子がサッカーに興味を持ち出したので、大のサッカー好きである主人とは、一緒にサッカー観戦したり、マニアックなほどのサッカー論議をしたりと、サッカーのことに関しては二人で盛り上がっているのだけれど、それ以外のことは、驚くほどさっぱり???

 

私が家事で忙しい時に、宿題の本読みを主人に聞いてもらおうと思っても、

「嫌や。ママに聞いてもらう」と息子。

その理由を聞くと、

「お父ちゃんは、本読み、聞きたいと思ってへん」と。

 

確かに、主人は、サッカー以外のことは、面倒くさそうというか、自分から何かをこうしようということがありません。

子どもが小さい頃って、子どもに合わせて話をしたり、一緒に何かをするものだけど、主人はそういうのが苦手で、父親になってもサッカー最優先な主人に、私は半分呆れていました。

 

サッカーのことではこんなに仲良く話をしているのに、それ以外のことは全く話をしない親子なんておかしいよ!!

主人は、「息子が話をしてくれへんのや」って言うけど、それって、息子に、「お父ちゃんは、サッカー以外のことには興味がない!」って思われてるってことでしょ。

 

以前、発達支援相談の先生にこの話をした時、主人にもアスペルガーの傾向があるのかもしれないと言われました。

主人と関わり合いたくて、むしろ、息子の方がサッカーに興味を持つようになって、結果的にサッカーを好きになったのでは・・・と。

 

どんな時にも、どんなことでも、父であるあなたが、息子の一番のサポーターになってあげてほしいのです。


アロエの実♪

2015年06月19日 | 日記

発見、発見!うちの玄関横のアロエが、今年初めて実を付けました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

放ったらかしで、冬でもそのまま外に置きっぱなしのアロエ。
それでも、たくましく成長して、春には新しい株をどんどん増やしていきます。

お世話といえば、この新しくできた小さななアロエの株を、ご近所さんに株分けするか、処分するくらいでした。

 

毎年、花を咲かせては、いつの間にか散ってしまい・・・だから、実ができるなんて知らなかった!
アロエって、てっきり株分けして増えていくのだと思っていたけど、種でも増えるのですね。

 

この緑色のぷっくりとした実の中に、どんな種が入っているのかな?

 

 


漠然とした不安

2015年06月18日 | 息子の広汎性発達障害と強迫性障害、適応障害

息子の強迫性障害・・・薬を飲み続けていますが、未だ回復せず、薬の量を増やすことになりました。

 

リスパダールOD錠0.5mgと、フルボキサミンマレイン酸塩錠25mg。
今までの倍の量ですが、それぞれ2分の1錠ずつだったので、これで1錠ずつ服薬することになりました。

これらは、気持ちを楽にしたり、不安や緊張を取り除く薬だそうですが、いったい息子は、何にそんなにストレスを感じているのでしょう。

 

取り除けるものなら取り除いてやりたいけど、本人に聞いても、よく分からないみたいです。

担任の先生に聞いても、授業も、本人なりに頑張っている様子で、休み時間も楽しそうにしているらしく、問題があるようには見えないそうです。

漠然とした不安を常に感じているということなのでしょうか・・・。

 

実は、私も、自分でもおかしいと思いながら、漠然とした不安を感じていることがあります。

それは、自分は、いつ死ぬかもしれないという不安です。

 

私は、今年、母がくも膜下出血で亡くなった年齢になりました。
父も、突然脳炎を発症し、高次脳機能障害を持つようになり、また、突然心筋梗塞で亡くなってしまいました。

息子が一人前になるまで、なんとしても生き抜かなくては・・・と思う反面、
「人は、いつ、どうなるか分からない」という不安が、私の心にずっと潜んでいます。

 

ブログを書き始めたのも、もしかすると、この不安のせいかもしれません。

 

もしも・・・もしものことがあったらです。

一番に伝えたいのは、あなたが大切な大切な息子であるということです。

そして、自分の特性を知って、社会の中で、自分らしく幸せに生きてほしいということです。

 


生きてて良かった!

2015年06月16日 | 高次脳機能障害の父と・・・

父が亡くなったのは、息子が小学1年生の11月でした。

 

息子は、通常学級に在籍し、週1回通級教室に通って、苦手なところをフォローしてもらっていました。

2年生になってからは、大阪府の行っている「こども発達支援センターSun」の療育に参加させてもらうことになりました。

Sunでは、PEP-3の検査によって、息子の苦手を明らかにし、それに応じて、月3回の療育+月1回の保護者指導を1年を通じて受けることが出来ました。

担任の先生、通級の先生、Sunの先生方と連携を取りながら、悩んでは相談して・・・の繰り返しで、親も子も一歩ずつ進んできました。

 

父の一周忌の準備をしていた時です。

ふと、今私が、多くの人達に支えられながら、息子の障害と正面から向き合えるのは、父のお陰だと思いました。

 

父の突然の病。高次脳機能障害が残り、変わり果てた父に、私はどうしたらよいのか途方にくれるばかりでした。

無力だった私を支え、励ましてくれた人達。父がもたらしてくれた多くの出会いが、私自身をも変えてくれていたのです。

 

実は、私は、5歳の時に両親の離婚で実の母親と別れなければならなくなり、それ以来、父にも育ての母にも、「甘える」ということが出来なくなってしまいました。

もちろん、育ててもらって恩あるのは当然なのに、「親の力なんか借りるものか」とばかりに、以前の私は肩肘を張って生きていました。

父自身、自分の力で生きてきたせいか、「努力すれば、自分の力で何でも出来る」と、私達子どもに対しても、出来ないことを責めることはあっても、出来る方法を一緒に探してくれるようなことはありませんでした。

 

人に頼ることが大嫌いだった父が、自分では何もできなくなって、努力だけではどうすることも出来ない障害を持つようになって、私を多くの人達と結びつけ、その人達の力を借りながら困難を乗り越えていくということを教えてくれたのです。

そう思った時、私の心の奥にあったわだかまりがとけて、生まれて初めて、父に心から感謝することが出来ました。

 

父が脳炎を患ってからの3年余り。苦しくて大変だった時間が、かけがえのない大切な時間に変わりました。

その大切な時間を生き抜いてくれた父の遺影に涙があふれ、

「ありがとうございました」と伝えた時、

「生きてて良かった!」

そう、父の声が聞こえたような気がしました。

 

そして、父から孫である私の息子への贈り物。

そう遠くない未来に、息子に伝えるでしょう。

 

障害を克服するということは、障害をなかったものにすることではなく、一つ一つの困難に対して、よりよき対処方法を探し出し、障害に負けずに生きていくことだと教えてくれました。

 

困難を克服しようと、懸命に挑戦する。苦しい時も、悔しい時も、一歩一歩進んでいく。

だからこそ、障害を持って生きる人たちを「チャレンジド」と呼ぶそうです。 

 

息子よ、これから先、楽しいことばかりでなく、辛いこともいっぱいあるでしょう。

たとえそれが、どんなに最低・最悪だと思えるときがあったとしても、いつか必ず、全てが意味のある大切な時間に変わっていく。

 

負けるな! 希望を持て!! 


父のそれから・・・9

2015年06月15日 | 高次脳機能障害の父と・・・

父の死は、あまりにも突然やってきました。

 

その10日ぐらい前から、私は、起き上がれないくらいの激しいめまいに襲われ、「前庭神経炎」になってしまいました。

ふらふらで、吐きそうで、実家に帰ることが出来ません。

 

ケアマネージャーさんに連絡すると、

「お父さんのことは心配せんでいいから、早く治してね」と言って、ヘルパーさんに、毎日、朝夕入ってくださるよう手配してくださいました。

父にも、私の病気のことを説明し、無茶しないようお願いしました。

 

父は、私に心配かけないようにと思ってくれていたのか、お酒も控えてくれ、何事もなく一日一日を過ごしていました。

 

主人が休みである土曜日に、実家に連れて帰ってもらった時にも、父は、

「心配いらんからな~」って、ヘルパーさんと一緒に笑っていました。

 

それなのに、その2日後の11月26日、父は、お風呂で、突然亡くなってしまいました。

心筋梗塞でした。

 

弟からの連絡で、私が実家に駆けつけた時には、警察が検死をしているところでした。

 

なぜ? どうして?

私は、いつかは、父もこの障害を乗り越え、「生きてて良かった」と思えるような生活が出来るようになると信じて、それを目指して頑張ってきたのです。



それなのに、父が死ぬなんて・・・?

信じられない!!

道が途中でぷっつり消えてしまったようで、私は、どう考えればいいのか分かりませんでした。

 

私が、倒れてしまったから?

もう、限界だと思ってしまったから?

お酒を管理できる施設に入るのが嫌だったから?

 

ぐるぐると、色んなことが私の頭をよぎりました。

 

実家に戻ってこなかったら、父は、死ななかったのでしょうか?

でも、もし、高齢者住宅のお風呂で亡くなっていたら、父を実家で生活させてあげられなかったことを後悔することになったのでしょうか?

胸が苦しくて苦しくて、潰れてしまいそうでした。

 

でも、私よりも、亡くなっている父を見つけた弟は、どんなにショックだったでしょう。

同じ家に住んでいて、父に何かあったらどうしようと心配し続けてきた弟は、どんな気持ちで通報してくれたのでしょう。

「時期尚早」と、父の自宅での生活を反対していた弟は、毎日不安と戦いながら、それでも、自分の出来る精一杯で父や私を支えてくれていました。

 

こうして、父の自宅での生活は、1月26日からその年の11月26日まで、たった10ヶ月で突然幕を降ろしたのでした。