これまで、聖書のイザヤ書を紹介して来ました通り、西暦前8世紀の神エホバとの契約下のイスラエルの民は、ぞっとするような脅威にさらされました。血に飢えたアッシリア人は、諸国を次々に荒らしており、南のユダ王国が攻撃を受けるのも時間の問題になっています。そのような状況下でユダの民は保護を求めてだれに頼るでしょうか。その民は神エホバとの契約関係にあり、神エホバに助けを求めるべきでした(出エジプト記19:5,6)。ダビデ王はまさにそのようにしました。そして、「エホバは私の大岩、私のとりで、私を助け出す方」と、全き信頼を置いていました(サムエル第二22:2)。しかし、明らかに西暦前8世紀のエホバの民は、自分たちのとりでとして神エホバに信頼を置きませんでした。むしろエジプトやエチオピアに頼ろうとして、それら二つの国が、迫りくるアッシリアの侵入に対する堡塁となることを期待していました。そのように、神エホバに頼るのではなく、人間の力に頼るのは間違いでした。
神エホバはご自分の預言者イザヤを通して、エジプトやエチオピアを避難所とするなら大きな災いが臨むことを警告しました。霊感を受けたイザヤの言葉は、同時代の人々への有益な教訓になると共に、神エホバにどんな時も依り頼むことの重要性を、私たちへの貴重な教訓となっています(格言3:4~7)。
当時アッシリア人は軍事力で名をはせていました。「古代都市」という本は、こう述べています。「彼らは力を崇拝し、ひたすら巨大なライオンや雄牛の石像に祈りを捧げた。そうした像のどっしりした足、鷲のような翼、人間のような頭は、力と勇気と勝利の象徴であった。戦いは国家の事業であり、祭司たちは絶えず戦争を扇動した」。この状況は、20世紀の第二次世界大戦中の交戦国に似ていないでしょうか。聖書の預言者ナホムがアッシリアの首都ニネベを「流血に満ちた都市」と読んだのももっともなことです(ナホム3:1)。
当時のアッシリア人の戦術は残虐を極めました。当時の浮き彫り絵には、鼻や唇に刺したかぎで捕虜を連行するアッシリアの兵士たちが描かれています。槍で目をつぶされた捕虜もいました。ある征服を伝える碑文によると、アッシリア軍は捕虜の体をばらばらにし、市外に二つの塚を築きました。一つは頭、もう一つは手足の塚です。征服された側の子供たちは火で焼かれました。そうした残虐さが吹き荒れ、アッシリア軍に手向かう者たちの提供力はくじかれ、軍事面でアッシリア人に有利に働いたに違いありません。しかし、神エホバはこのような残虐行為を行うアッシリアを断罪されました。神エホバは、悪を容認することなく、平和を希求されています(イザヤ2:4)。互いを愛する人になるように教えられています(ヨハネ13:34)。
あなたも、試練に直面しても神エホバに依り頼む人々のお一人であれば幸いです(格言3:4~6)。
新元号 変わらぬ仕事 道の駅 今日の一句
鬼北(きほく)地方の「初夏の里山」