毎日道の駅(宇和島市のきさいや広場)に出荷のために、
あるお家の前を通りますが、見事なバラを道を通る人たちが。ご親切にも
鑑賞できるようにしてくださっています。例年通り美しいバラが咲いています。
花期は5月~6月、9月~10月です。
用途は切り花、鉢植え、庭植えです。
花言葉は「深い愛情」と紹介されています。
今日は5月のバラと梅花空木を紹介致します。
例年通り美しく咲いている「バラ」
庭でほのかな梅の香りを放って咲いている
「梅花空木」
毎日道の駅(宇和島市のきさいや広場)に出荷のために、
あるお家の前を通りますが、見事なバラを道を通る人たちが。ご親切にも
鑑賞できるようにしてくださっています。例年通り美しいバラが咲いています。
花期は5月~6月、9月~10月です。
用途は切り花、鉢植え、庭植えです。
花言葉は「深い愛情」と紹介されています。
今日は5月のバラと梅花空木を紹介致します。
例年通り美しく咲いている「バラ」
庭でほのかな梅の香りを放って咲いている
「梅花空木」
神エホバは、ご自分の民がご自分にではなく、エジプトやエチオピアといった「人間の力・同盟」に頼ろうとしてしていることをご存知でした。それで神エホバは、緊迫した警告を伝えるために、一風変わった任務をイザヤに与えます(歴代第二32:7,8)。
神エホバは、イザヤに次のような任務を与えました。「・・・「腰に巻いている粗布を取り、サンダルを脱ぎなさい」。彼(イザヤ)はその通りにし、裸になってはだしで歩き回った」(イザヤ20:2)。
イザヤは神エホバの命じられた通り従順に従いました。粗布とは、きめの粗い衣のことで、当時しばしば預言者が身に着け、時には警告の音信に関連して用いられました。また、危機の迫った時や、不幸な悲しみを聞いた時も身に着けました(列王第二19:2.詩編35:13.ダニエル9:3)。イザヤは、身を保護する物を何もまとわなかったという意味ではありません。愛の神エホバがそのような恥ずかしい姿を人前にさらすことなど考えられないからです((ヨハネ第一4:8)。「裸」と訳されているヘブライ語は、真っ裸ではなく、ある程度の物だけ身に着けている状態を指すこともあります(サムエル第一19:24脚注)。ですから、イザヤは外衣を脱いだだけで、通例直に肌に着ける短いチュニックは着ていたものと考えられます。アッシリアの彫刻には、男の捕虜たちが、しばしばそのような姿で描かれています。
イザヤの一風変わった行動は、意味不明のままにはされません。神エホバは次のように言われました。「・・・「私(エホバ)に仕えるイザヤは、エジプトとエチオピアに対するしるしまた予告として、3年の間、裸になってはだしで歩き回った。同じように、捕虜となったエジプト人と捕虜にされたエチオピア人は、少年も老人も裸にされ、はだしにされ、尻をむきだしにされて、アッシリアの王に連れていかれる。エジプトは裸にされるのである」(イザヤ20:3,4)。
イザヤ書の通り、エジプト人とエチオピア人はやがて捕虜として引かれて行くのです。だれ一人容赦されることはありません。「少年も老人も」、つまり子供や年配者たちまでが、裸にされて流刑に処せられます。神エホバはこうしたもの悲しい情景表現を用い、ご自分のユダの住民に、エジプトやエチオピアの力に信頼を置くのは空しい、ということを警告されたのです。それらの国は、没落して、「裸」、つまり恥辱を経験するのです。イザヤは、裸になってはだしでそのことを教えたのです。
イザヤは、神エホバの命じられた事柄を従順に果たしました。私たちは裸で伝道をすることはありませんが、あなたも、神エホバのご意志を忠実に守り行なう「思慮深い人」たちのお一人であれば幸いです(マタイ7:24,25)、
連休や 笑顔満開 花公園 今日の一句
妻が道の駅に出荷する準備をした「サクランボ」
- 3日は6パック出荷しました -