神エホバは、イザヤを通して、バビロンが神エホバのご意志に反し、立場の弱い老人にも重荷を載せ、非道なことを行ったので、その行為を明らかにされました(イザヤ47:6後半、7)。
神エホバは、イザヤを通して引き続き次のように宣言されてました。
「「快楽を愛する者(バビロン)よ、聞け。安らかに座り、心の中でこう言う女(バビロン)よ。「私(バビロン)のような者はほかにいない。私はやもめにはならない。子供を失うことも決してない」」(イザヤ47:8)。
当時バビロンは快楽追及で有名であったことが歴史上よく知られています。西暦前5世紀の歴史家へロドトスは、バビロニア人の「いとも恥ずべき習慣」、つまり愛の女神に対する崇敬の表明としての売春行為がすべての女性に求められていたことを言及しています。古代史家クルティウスも、「その都(バビロン)の風紀は乱れ、制度的な腐敗は極みに達し、人々を放とうへといざない、駆り立てていた」と記しています。
バビロンが快楽追及に溺れることは、自らの倒壊を早める結果になりました。バビロンがまさに倒れようとしているその夜、王と代官たちは宴会を催し、酔いつぶれていました。そのため、キュロス王の率いるメディア・ペルシャの軍隊がバビロンの都に侵入してくることに注意を怠っていました(ダニエル5:1~4)。「安らかに座る」バビロンは、堅固に見える城壁と堀が侵入者から守ってくれるだろうと思い込んでいました。覇者としてのバビロンの地位を奪い取るものなど「ほかにいない」と言っていました。バビロンが帝国の支配者を失って、「やもめ」になり、その上、民衆という「子供」までも失うとは想像だにしていませんでした。しかし、どんな城壁も、エホバ神のご意志の腕から堕落したバビロンを守ることはできません。神エホバは後に次のように言われています。「たとえバビロンが天に昇ろうとも、たとえその強さの高みを近寄り難いものにしょうとも、わたしのもとから征服を行なう者たちが彼女(バビロン)の所に行くであろう」(エレミヤ51:53)。
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