神エホバは、ご自分の預言者イザヤを通して、ご自分の民の不忠実な行いにも、ご自分の名のために怒りを抑えていることを伝えられました(イザヤ48:9)。神エホバは、そのように愛によって、辛抱強く親切な特質を表されました。
神エホバの辛抱強くて親切な対応によって、流刑の身のユダヤ人のうち、従順で正しい心の持ち主は、神エホバの譴責によって目が覚め、神エホバの教えに留意しようと決意しました。そうした人々に、次のイザヤを通した神エホバの言葉は安心感を与えたことでしょう。
「「私(エホバ)はあなたを精錬したが、銀のようにではない。苦悩の溶鉱炉の中であなたを試した。私(エホバ)は自分自身のために行動する。私(エホバ)が汚されることがあってよいだろうか。私(エホバ)は自分の栄光をほかの誰にも与えない」」(イザヤ48:10,11)。
神エホバがご自分の民に試練が臨むのを許された、「苦悩の溶鉱炉」にいるかのような厳しい試練は、ご自分の民を試みて精錬し、彼らのうちにあるものを明らかにしました。これにより、幾世紀か前にも、同様のことが生じました。その時、モーセは、この民の先祖にこう言いました。「あなたの神エホバがこの40年荒野であなたに歩ませた・・・・神がそうしたのは、あなたを謙遜にならせるため、あなたを試して・・・あなたの心の内にあるものを知るためでした」(申命記8:2)。神エホバの民の反逆的な態度にもかかわらず、神エホバは当時のその国民を滅ぼしませんでした。この度も、ご自分の民を徹底的に滅ぼすことはなさいません。神エホバの辛抱強く、親切な対応によって、神エホバのみ名と誉れが高く保たれます。神エホバの民が、バビロニア人の手にかかって消滅するなら、神エホバがご自分の契約をたがえたことになり、神エホバのみ名は汚されてしまうでしょう。イスラエルと契約を結ばれた神エホバには、ご自分の民を救う力がないかのように見えてしまうでしょう(エゼキエル20:9)。ですから、「神エホバはご自分の栄光をほかの誰にも与えない」のです。
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夕暮れて 寒雷のあり 小雨降る 今日の一句
庭に咲いている「緋桜」