約45年も前のイタリアのミラノでの思い出があります。
当時エジプト向けのプロジェクトのコンサルチング会社が
イタリアのミラノにある会社で、たびたび技術打合せで
出張する機会がありました。
初めてミラノの街に着いた時の印象は、日本の街並みと
大きく異なり、見事な石作りの建物で、何百年も使われている
建物の重厚さに圧倒されました。ミラノの駅も見事な石作りの駅でした。
当時日本人の住む木造の家は、ヨーロッパでは「鶏小屋」と
言われていた意味が理解できました。
さらに、食文化の違いにも驚きました。コンサルティング会社の
社員食堂(確か8階の最上階だった記憶があります)で
昼食をするのですが、前菜にヌードルが出て、それから
主食、その後にフルーツとコーヒーとアイスクリームの
フルコースでした。
当時の日本人のサラリーマンの昼食とは大違いでした。
またコーヒー店で飲んだコーヒーも日本人の飲むコーヒーと
違って、小さなコップで、トロッとしたコーヒーでした。
私などは前菜のヌードルだけでお腹が一杯になりましたが、
イタリア人は大食であることに気付き驚いたものです。
イタリア人は食事は3時間位かけて楽しむことやワインは
食事の時に水代わりに飲むと教えられ、日本の食文化の貧しさを
感じたものです。
さらに、当時その会社の夏休みは3週間以上あり、スイスに行って
休養すると説明を受け、日本人の働き方と大違いの文化を感じました。
当時イタリア人の気心は日本人と似ているとも感じました。
コンサルティング会社のエンジニアはすこぶる親切で、
時間をかけて技術打合せに応じてくださり、とても安堵したものです。
ただ、当時会社からミラノの街を散策するときに1っ注意事項が
与えられていました。それは、日本人を見つけると若い女性が
近づいて来て、お金の無心をするので、注意するように、というものでした。
私が昼食を終え、ミラノの有名なドームの前を散歩していると
20歳前半の女性が近づいて来て、「一緒に食事をして欲しい」と
誘われました。私は会社からの注意事項を思い出し、す
ぐにその誘いをお断りしました。するとその女性は、「食事をする
お金をください」と言いました。私は勿論すぐに断りましたが
文化の進んだ国でこのようなことがあるのかと感じたものです。
ミラノにはレオナルドダビンチの有名な最後の晩餐の絵もあり、
バスに乗って鑑賞に行きました。
イエスを裏切ったユダイスカリオテの前には、一つまみの塩が
描かれていた記憶が残っています。
当時は聖書をまだ学んでいなかったので、聖書を学んでから
最後の晩餐の絵を鑑賞できたら良かった、と、後に思ったものです。
若い時代に外国に行き、文化の違いを直接学べたのは、
後の歩みに大きな助けになりました。
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