パリサイ人(イエスの時代のユダヤ教の主要な派の人)たちは、イエスの証しする神の王国の良いたよりやあらゆる疾患とあらゆる病をいやすイエスの業にねたみを抱き、イエスを殺そうと相談したり、あるいはイエスのことを、道理に外れ「悪霊たちの支配者ベエルゼブブ(サタン)」と非難しました(マタイ12:14,24)。イエスはその都度パリサイ人たちが道理に外れた、神エホバのご意志の憐れみを示さない偽りの宗教指導者たちであることを明らかにされました。さらに、イエスはとても重要な教えである、「聖霊(神エホバの活動する力、また神エホバのご意志の生きた言葉)に言い逆らう者は、だれも許されない」ことを教えられた場面が、マタイの福音書に次のように記されています。
「「このようなわけであなた方(パリサイ人たち)に言いますが、人はあらゆる種類の罪や冒とくは許されますが、霊に対する冒とくは許されません。たとえば、人の子(イエス)に逆らう言葉を語るのはだれであっても、その者は許されるでしょう。しかし、聖霊に言い逆らうのがだれであっても、その者は許されないでしょう。この事物の体制においても、また来るべき体制(義の宿る地上の楽園)においてもです」」(マタイ12:31,32)。
イエスは上の聖句に示されている通りに、「聖霊に言い逆らう者はだれであっても、その者は許されない」と教えられました。ここで「聖霊」とは何でしょうか。「聖霊」とは、神エホバの活動する力であり、神エホバのご意志に関する啓示や理解をもたらすだけでなく、そのご意志に従って物事を成し遂げるよう、ご自分の僕たちを活発に働かせることもします。さらに、簡単に言えば、神エホバのご意志の生きた言葉のことです(ヘブライ4:11)。ですから、神エホバの活動する力の霊感に基づき記された聖書全巻の神エホバのご意志の生きた言葉に逆らう者は、何人も許されることはないのです(テモテ第二3:16)。ですから、当時のパリサイ人たちは自分たち独自の考えを人々に押し付け「盲目の案内人」になっていましたが、彼らとは反対にイエスは、どのような場合もみ父エホバの教え通りに人々に真理を証しし、手本として残されました(マタイ23:16.ヨハネ7:16;12:49,50.ペテロ第一2:21)。だれでも、イエスの教えを心に留める必要があります。イエスの教えは神エホバの教えそのものなのです。このことを理解される方々は幸いです。
柚の香の 酢漬け楽しむ 夕餉かな 今日の一句
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