今日からはイザヤの預言の最終章の66章を紹介致します。
イザヤの預言の66章1節は、神エホバの雄大さ強調しています。イザヤは次のように神エホバの霊感を受けて記しています。
「エホバはこう言う。「天は私の王座、地は私の足台(休み場)である。では、あなたたちは私のためにどこに家を建てるというのか。私が休む場所はどこか」」(イザヤ66:1)。
預言者イザヤは、故国に復帰したイスラエル人がエルサレムに神エホバの神殿を再建するのを思いとどまらせようとしている、と考える人たちもいます。しかし、そうではあありません。神エホバご自身が、神殿の再建をお命じになるからです(エズラ1:1~6.イザヤ60:13.ハガイ1:7,8)。では、上のイザヤの聖句はどういう意味でしょうか。
まず、「地」、つまり地球が神エホバの「足台」と、記されている理由を考えるとよいでしょう。宇宙の無数の天体の全ての中で地球だけが、この特別な名称を与えられているのです。この美しい惑星地球は、独特な存在として永久に存続します。神エホバの独り子イエスが贖いを支払った所も、神エホバご自身の主権の正当性を神の王国によって立証なさる所も、地球だからです。この地球が神エホバの「足台」と呼ばれるのは、ふさわしいことです。王は、高い王座に上がるために、そしてその後、王の足の休み場として、そのような台を用いることがあります。
言うまでもなく、王が足台の上に住むことがないのと同じく、神エホバもこの地球上に住まわれるわけではありません。何しろ広大な「天」、つまり宇宙でさえ、神エホバを入れることはできないのです。まして、地上の単なる建物が神エホバを収め入れ、文字通りの神エホバの家をなることなどはあり得ません(列王第一8:27)。神エホバの王座と休み場は霊の領域にあり、そこを指してイザヤ66章1節は「天」という表現を用いています。
続いてイザヤは何と述べるでしょうか。次回にその内容をお伝え致します。
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