イエスは神エホバの約束通り、地上に遣わされ、人類がアダムから受け継いだ罪と死からの解放のために贖いの死を遂げてくださいました(マタイ20:28、ヨハネ3:16.ローマ5:12)。イエスの地上に遣わされた目的の伝道の主題は「神の王国の良いたより」だったため、都市から都市、村から村に真理の証しの業を行ない、手本を模範として残されました(ルカ4:43;8:1.ペテロ第一2:21)。また同時に神の王国が地上で成し遂げる、あらゆる疾患と病を瞬時に治し、亡くなった人も復活させ、証拠を見せられました(マタイ4:23.ヨハネ11:1~44)。また、イエスは地上に遣わされている間、真理を大群衆や弟子たちに証しされました(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの福音書参照)。イエスのそうした教えは、イエスの独自の教えではなく、み父エホバがお告げになることをその通り話してくださったことを、イエスは明らかにしています。ですから、キリスト教とは、神エホバの教えのことです。
ヨハネの福音書には次の通り記されています。
「わたし(イエス)は自分の衝動で話したのではなく、わたし(イエス)を遣わした父(エホバ)ご自身が、何を告げ何を話すべきかについて、わたし(イエス)におきてをお与えになったからです。わたし(イエス)は、父(エホバ)のおきてが永遠の命を意味していることを知っています。それゆえ、わたし(イエス)の話すこと、それは、父(エホバ)がわたし(イエス)にお告げになったとおりに話している事柄なのです」(ヨハネ12:49,50)。
上の聖句に示されている通り、イエスは「独自の考え」で、弟子たちや群衆に教えることは無く、み父エホバが何を告げ話すべきかを、告げられる通りに話しをされたのです(ヨハネ7:17)。イエスは謙遜であり、苦しみの杭の上で贖いの死に至るまでみ父エホバに従順という特質を示されました(フィリピ2:5~8)。上の聖句から分かる通り、イエスは神ではなく、また神エホバと同等ではなく、み父エホバがイエスより上位の方であることが分かります。イエスが教えられている通り、「エホバのご意志」を行なうことが重要なのです(マタイ7:21.ヨハネ7:17)。イエスを神として崇めたり、マリアを崇拝させる教えは、聖書のどこにも記されていません。
汗流る 奉仕の間にも 麦茶飲む 今日の一句
鉢植えの「カランコエ」
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