皆様方の中にもご年配の方々がいらっしゃるかも知れません。そのご年配の方には、毎日鏡の前で身だしなみを整える時に、ふと「若かった時代のご自身の美しい姿」を思い起こされるかも知れません。それでも増えた白髪(しらが)を見ながら、「光輝」とみなす方は幸いな人です。若い方々は如何でしょうか。ご自身の姿を鏡に映し、「若々しく美しい姿」と「力に溢れている」ことに満足をし、身だしなみを整えられるのではないでしょうか。若い時には確かに疲れを知らぬ力が備えられています。若い方は、鏡の前で「ご自身が年老いた時にどのような姿になるか」、とは、お考えにならないと思います。私たちは、男性も女性も「神の像(かたち)」に創造されていて、しかも「畏怖の念を抱くまでに、くすしい造り」なのです(創世記1:26,27.詩編139:14)。
聖書の箴言には「若者」と「老いた者」の称賛の言葉を次のように記しています。
「若者の美しさはその力、老いた者の光輝はその白髪(しらが)である」(箴言20:29)。
「白髪」は生体の変化する結果として髪の中の色素顆粒が減少することにより、髪の毛の色が薄くなること、それに伴い比較的若いうちから白髪の出ることもありますが、大抵は老化に伴って出ます。聖書中には、老化に伴って生じる白髪になった人の、アブラハム、ギデオン、およびダビデ王は「良い齢(よわい)」になるまで生きた、という表現を用いています(創世記15:15;25:8.裁き人8:32.歴代第一29:28)。
エホバ神は若い時の美しさと力、老齢の光輝のいずれも認め、上の箴言の言葉を記しています。聖句の後半の「老いた者の光輝はその白髪である」という言葉は、そのように「老いた者」が唯一まことの神エホバを崇拝し、仕えているのを見るなら、特に真実であることを証ししています。同じく箴言は、「白髪は、義の道に見いだされるとき、美の冠である」と記しています(箴言16:31)。「義の道」とは、神の王国とエホバの義・公正をいつも第一に求め、エホバのご意志を守り行う生き方のことです(マタイ6:33)。さらに聖書の詩編には、「エホバの家に植えられた者たち、彼らは白髪のときにもなお栄えていることでしょう」と保証の言葉が記されています(詩編92:13,14)。白髪に至るまでも神エホバに仕える者は、ご自分の神エホバに捨てられることはありません(イザヤ46:4)。エホバ神の教えは次の通りです。「あなたは白髪の前(老いた者の前)では立ち上がるべきでる。また、老人の身を思いやらねばならない」(レビ記19:32)。若い方が「老いた者」に親切にし、エホバ神の教えを適用されているなら、まさしくエホバ神に喜ばれ、一層「若者の美しさは力」となるでしょう。
冷汁に 山椒の葉の 添え出さる 今日の一句
切り花で出荷されていた「ダリア」
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