イエス・キリストは、「つまずかせる者が来るその経路となる人は災いです」と教えられ、つまずきの源は日常生活から断固として排除するように教えられました(マタイ18:7~10)。次いで、イエスはある人・羊飼いが百匹の羊のうち、一匹が迷い出るなら、九十九匹を山に残し、その迷い出た一匹の羊を捜し出し、見つけた時の歓びを教えられました。イエスはそのような例え話を用い、天のみ父エホバ神は、弟子たちの一人も滅びることを望まれない方であることを教えられた場面が、マタイの福音書に次のように記されています。
「あなた方はどう考えますか。ある人が百匹の羊を持つようになり、そのうちの一匹が迷い出るなら、その人は九十九匹を山に残し、迷い出ているものを捜しに出かけないでしょうか。そして、うまくそれを見つけるなら、あなた方にはっきり言いますが、その人は迷い出なかった九十九匹のこと以上にその羊(見つかった1匹の羊)のことを歓ぶのです。同じように、これら小さな者の一人が滅びるのは、天におられるわたしの父(エホバ)にとって願わしいことではありません」(マタイ18:12~14)。
イエス・キリストはご自分の弟子たち・追随者たち一人一人がどれほど貴重な存在かについて、天のみ使いたちがみ父エホバのご意志に沿って見守っていることを、これより先に教えられました(マタイ18:10)。重ねてイエスは、ご自分の弟子たちが、み父エホバにとって貴重な存在であることを、百匹の羊の中の一匹が迷い出た場合、羊飼いは九十九匹の羊を山に残し、その迷い出た一匹の羊を捜し出した時の歓びについて話されました。この例えの羊飼いはみ父エホバ神を表わしています。羊飼いが迷い出た一匹の羊も大切に探し出すのと同じように、み父エホバ神も、イエスの弟子たち・追随者たちの命を保護されることを教えられました。イエスは、天のみ父エホバは、弟子たちの示した働きと神エホバのみ名に示した愛を、決して忘れられない方であることを教えられたのです(ヘブライ6:10)。なんと心温まる教えではないでしょうか。
現在もイエスの教えられた通り、クリスチャンの群れから迷い出たクリスチャンたちを捜し出し、群れに帰ることができるように、あらゆる努力・手助が伸べられています。。そのようにして、イエスが教えられた通り、み父エホバの歓びとなるご意志を行なっています。
梅の香の 少し漂う 奉仕道 今日の一句
奉仕中の道端に咲いていた「白梅」
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