神エホバは、ご自分の預言者イザヤを用い、イスラエルの民が、神エホバの平和や公正を求めないゆえに、闇の道を歩み、鳩のようにくーくー悲しげな鳴き声を続けることを告げられました(イザヤ59:9~11前半)。神エホバの教えを守り行わない時、真昼でも、夜の闇の中を手探りして歩むような人生になるのです。
イザヤは、イスラエル人が窮状に陥っているのは、自分たちの神エホバに対する反抗と偽りの言動のゆえであることを痛感し、次のように記しています。
「公正を待ち望むが、それはない。救いを待ち望むが、それは程遠い。私たち(イスラエル人)は何度もあなた(エホバ)に反抗しました。一つ一つの罪が、私たちに不利な証言をしています。私たちは反抗したことを自覚しており、自分たちの過ちをよく知っています。私たちは違犯を犯し、エホバを拒んだ。私たちの神に背を向けた。圧迫と反抗について語り、心の中でうそを考え、偽りの言葉をささやいた」(イザヤ59:11後半~13)。
イイザヤの時代のスラエル人は、神エホバに何度も反抗し、自分たちの生き方を悔い改めていないので、依然として罪を問われます。公正を待ち望んでも公正は、イスラエルの地から離れました。それは、イスラエルの民が神エホバから離れたからです。イスラエル人は、偽りに染まり切っていることを示し、仲間の民に「圧迫と反抗について語り、心の中でうそを考え、偽りの言葉をささやいた」のです。神エホバの民であると主張しながら、神エホバの愛や公正から遠く離れた生き方をしたのです。今日、クリスチャンと称しながら、神エホバのご意志を学び守り行なうエホバの証人のクリスチャンたちを(イザヤ43:10)、誹謗中傷することによく似ています。誹謗中傷からは霊の実を生み出すことはありません。そればかりか、イエスの指示の神の王国の良い便りを証ししないばかりか、神エホバの名前を用いません。聖書には神聖な神エホバのみ名が約7,200回も用いられています。私たち男性と女性をご自分に似た者として創造してくださったのは神エホバです(創世記1:27)。ですから、人間は進化したのではなく、神エホバによって創造されているゆえに、人間は進化論では説明の出来ない、神エホバかの属性の愛や公正や知恵や力を発揮する能力が備えられていることを忘れてはなりません。
WWW.JW.ORG
復興に 農家の託す みかん苗 今日の一句
かかり付けの医院の鉢植えの「カランコエ」
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます