イエス・キリストは当時の宗教指導者のパリサイ人たちを「まむしらの子孫」と呼んで、その実体を明らかにされました。彼らは邪悪な者ゆえに「自分の邪悪な宝の中から邪悪なものを出す」、つまり、邪悪な自分たち独自の考えの中からさらに邪悪な偽りを人々に教えることを指摘されました。一方りっぱな木の実である、イエスやイエスの弟子たちは、善良ゆえに「自分の良い宝のなかから良いものを出す」、つまり神の言葉の中から良いもの・人を築き上げる言葉を語ることを教えられました(マタイ12:33~37)。イエスのこの教えは現在に至るまで続いています。続いてイエスは書士とパリサイ人たちに、「預言者ヨナのしるし以外には何のしるしも与えられないでしょう」と言われました(マタイ12:39)。その場面がマタイの福音書に次のように記されています。
「その時、書士やパリサイ人の幾人かが彼(イエス)に対する答えとしてこう言った。「師よ、わたしたちはあなた(イエス)からのしるし見たいのですが」。イエスは答えて彼ら(書士とパリサイ人たち)に言われた、「邪悪な姦淫の世代(書士やパリサイ人たち)はしきりにしるしを求めますが、預言者ヨナのしるし以外には何のしるしも与えられないでしょう。ヨナが巨大な魚の腹の中に三日三晩いたように、人の子(イエス)もまた地の心(墓の中)に三日三晩いるのです。ニネベの人々は裁きの際にこの世代と共に立ち上がり、この世代を罪に定めるでしょう。彼ら(ニネベの人々)はヨナの宣べ伝えることを聞いて悔い改めたからですが、見よ、ヨナ以上の者がここにいるのです。南の女王(シエバの女王)は裁きの際にこの世代と共によみがえらされ、この世代を罪に定めるでしょう。彼女(シエバの女王)はソロモンの知恵を聞くために地の果てから来たからですが、見よ、ソロモン以上のものがここにいるのです」(マタイ12:38~42)。
上の聖句に記されている通りに、宗教指導者の書士とパリサイ人たちは、「まむしらの子孫」と指摘を受けたことに対し、イエスがメシアであることの証拠として、イエスに「しるしを見たい」と、要望しました。イエスはメシアであるしるしとしてそれまでに神の王国の良いたよりを宣明しながら、あらゆる疾患とあらゆる病の人々を即座に治し、その証拠の「しるし」を示して来られました(マタイ4:23.ルカ4:43)。それでイエスは、しきりにしるしを求める書士とパリサイ人たちに、「預言者ヨナのしるし以外には何のしるしも与えられない」と答えられました。これはどういう意味でしょうか。
預言者ヨナについては聖書の「ヨナ書」をご参照願います。預言者ヨナはニネベの都市の人々に神エホバの裁きの音信を伝えたエホバの僕の一人です。預言者ヨナは神エホバにニネべに行き、裁きの音信を伝えるように命じられた時、怖れを抱き逃げ船に乗り込みました。すると大嵐が生じました。船乗りたちは大いに怖れを抱いた時、ヨナは自分がエホバから逃れたゆえに大嵐が起きているのであり、自分を大嵐の海に投げ込めば、大嵐が治まることを人々に告げました。その結果預言者ヨナは大嵐の海の中に投げ込まれました。その時ヨナは魚のお腹の中に三日三晩いることになりました。ヨナは魚のお腹の中でエホバに助けを祈りました。その結果その魚は陸地にヨナを吐き出しました。その後ヨナは神エホバの命じられた通り、ニネベの都市で人々に神エホバの裁きの音信を伝えた結果、ニネべの人々は罪を悔い改め救われました(ヨナ書1章~3章)。
イエスは西暦33年のニサン(春の)14日、金曜日の午後に贖いの死を遂げられました。イエスの体はその日の日没前に墓に横たえられ石が入口に置かれ封印されました。イエスが贖いの死によって葬られた後、二サン16日の晩の時間も墓の中(地の心)にいて、日曜日の朝復活されました(マタイ27:57~61;28:1~7)。イエスは足掛け3日墓の中にいました。それでイエスの敵である書士とパリサイ人たちに「ヨナのしるし」が与えられたのです。
イエスは書士とパリサイ人たちに「ヨナ以上のものがここにいる」と、証しされました。また、イエスは南の女王・シエバの女王がソロモンの知恵を確認に訪れた話を引用し(歴代第二9:1~9)、「ソロモン以上のものがここにいる」と、説明し、ご自分が確かなメシアであることを証しされました。しかし、書士とパリサイ人たちは悔い改めることがありませんでした。
万両の 赤の輝く 道辺行く 今日の一句
冬の庭に咲いている「バラ」
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