私たち人間は、幸せな生活を送ることを願っています。そのため、先回は偉大な創造者であられる「幸福な神エホバ」がみ子イエスを通して有名な山上の垂訓の始めに教えられた「自分の霊的な必要(神エホバの教え、導きが必用であること)を自覚している人たちは幸いです。天(神)の王国はその人たちの者だからです」(伝道の書12:1.テモテ第一1:11.詩編16:11.マタイ5:3)についてお伝え致しました。引き続き、イエスは、次の特質を備えた人たちが「幸いな人たち(幸福な人たち)」と教えられました。
「嘆き悲しむ人たちは幸いです。その人たちは慰めを受けるからです」(マタイ5:4)。
イエスは上記の特質を備えた人たちが、「幸いな人たち」と教えられました。なぜ、嘆き悲しむ人たちが幸福なのでしょうか。イエスは嘆き悲しむすべての人が幸福な人、と教えているわけではありません。何故なら、今日邪悪な人たちも「対処しにくい危機の時代」に生活していますので、様々な試練、問題に直面し、嘆き悲しむからです(テモテ第二3:1)。また、利己的な理由で嘆き悲しんでも、神エホバとの関係は強くならず、エホバに祝福される「幸いな人」には、なれません。
では、イエスはどんな特質の「嘆き悲しむ人たちが幸い」と、教えられたのでしょうか。イエスが教えておられるのは、神エホバの教え、導きが必要であることを自覚している人たちのことで、その人たちは、多くの人たちが神エホバの教え、導きに従わないのを見て嘆き悲しみます。例えば、多くの人たちは、霊の実の特質を培わず、朽ちる「肉の業」を行ないますので、その状況に嘆き悲しむのです(ガラテア5:19~23)。また、自分がアダムから受け継いだ罪深さを認識し、不完全であることを認め嘆き悲しみます(ローマ5:12)。加えて、世界で、日本で起きている痛ましい出来事や不公正な扱いを見て嘆き悲しみを表わしています。つまり、神エホバの教えや導きに反した諸悪を見て嘆き悲しむ人たちが幸福な人たちなのです。何故なら、神エホバはそのような誠実な心の人たちに目を留め、慰め、希望を与え、永遠に幸せに生きられるように助けてくださるのです(エゼキエル5:11;9:4.啓示21:4)。
あなたも、神エホバの教えに調和し、世の中の諸悪を見聞きして、あるいは自分の不完全なゆえに嘆き悲しむ人たちのお一人であれば幸いです。
奉仕終え いつもの時刻 星月夜 今日の一句
ご近所の愛好家の「管(くだ)菊と泉郷越前」
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます