私が3歳の時に、第二次世界大戦の終戦の前に
宇和島大空襲がありました。
その大空襲の時、私は父親に抱かれて、
100m位離れあ所にある「金堀山(かねほりやま)」と
呼ばれていた防空壕があり、そこに逃げ込む姿を覚えています。
その防空壕に逃げて行く道から街が真っ赤に焼けている様子が
鮮明に残っています。
防空壕内は地域の方々が非難してきており、赤ちゃんの
鳴き声がしていました。すると誰かが「赤ちゃんを泣かすな!
B29に聞こえる!」と怒鳴っていたのも覚えています・・・
我が家には街に住む親族が疎開してきて住んでいましたが、
空襲警報が鳴ると、親族は真っ先に裸電球の傘に光が外に
漏れないようにする専用のカバーをかけ、新しく作った
家族用の防空壕に逃げて、B29が飛び去るのを見ていたのも
記憶に残っています。
街に住んでいた父親の姉は焼夷弾の直撃を受け、父が遺体の
かたずけに言った時に、そこには「はらわた」も何もない
姉の姿があった、と、戦争の恐ろしさを知らされました。
「戦争許すまじ」です。
聖書には戦いの道具・兵器を平和の道具に打ち返すように勧める言葉があります。
イエス・キリストは「平和を作り出す人たちは幸いです」と
教えられました。平和を作り出すように努力したいものです。
下は既に紹介済みの写真です。
1.満開に咲いていたツツジの花
2.満開に咲いていたチューリップの花
3.庭に咲いていた椿の花
4.まだ庭に咲いているモッコウバラの花
5.丸山公園に咲いていた八重桜(八重桜は塩漬けにし、お湯を入れて飲むと風情のある飲み物になります)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます