イエス・キリストは有名な山上の垂訓の中で、危害を加え怒りを引き起こす人に対処する方法を教えてくださっています。福音書の一つのマタイの書に次のように記されています。
「「目には目、歯には歯」と言われたのをあなた方は聞きました。しかし、わたし(イエス)はあなた方に言いますが、邪悪な者に手向かってはなりません。だれでもあなたの右のほほを平手打ちする者には、他のほほおも向けなさい」(マタイ5:28,29)。
「目には目、歯には歯」といううのは、モーセの律法に記されている、被害を与えたなら、等価のもので償いをしなければならない、という教えです(出エジプト記21:24.レビ24:20.申命記19:21)。しかし、イエスは「邪悪な者に手向かってはならない」というのがイエスの助言です。「だれでもあなたの右のほほを平手打ちする者には、他のほほおも向けなさい」と、イエスは教えられました。これは、邪悪な者に襲われても、自分や自分の家族を守ってはならないと教えているのではありません。ご承知の通りに、平手うちには、身体を損なうというよりも侮辱するために加えられます。ですからイエスが教えておられるのは、だれかが争いや議論を引き起こそうとして、実際にしたりすることがあっても、仕返しするのは正しくない、と教えてくださっているのです。温和で辛抱強い特質を培う方々は愛の人です(ガラテア5:21,22)。
須賀川の 鴨ら憩いし 水温む 今日の一句
早くも咲いた鉢植えの「バラ」
ところでこの”仕返しはよくない”と言う教えですが、神をまだ見出さなかった時は我慢する理由が見当たりませんでした。もちろん蒔いた種は刈り取ると言う意味で、人にした事は自分にも来るのかも知れませんが、それも恨みの願いとして期待する事でもないですよね。ただ昨日の記念式でも考えさせられますが、イエスは謂れ無き罪をきせられて人々から罵られたり酷い仕打ちを受けましたが、むしろその人たちに対して祈っていましたね。もしかしたら人と言うのは誰かを傷つけている時、自分も同時に傷ついているのかもしれませんよね。仕返しはそういう意味でも終わりなき傷つけ合いになりますね。反対側の頬を差し出すのは、誰も傷つけない闘いの終わらせ方なのかもしれないですね。神の主権の正当性に対するサタンの異議や企みですら、神は愛という形でイエスを人間に差し出しました。人にとって許すという行為は難しいですけれど、反対側の頬は、憎しみを愛で返答するやり方ですね。許しはそれゆえ尊く美しいものですね。
バラの花がとても綺麗に咲き始めました♪見るほどに心を引き付ける花です♪
とても霊性の高いコメントに感謝致します。天のみ父エホバはご覧になられ、歓ばれていらっしゃるに違いありません♪
侮辱的な言葉で刺激し、実際に平手打ちを加える者に、仕返しをしないのは、真の勇気と愛が求められます。少し努力がいる分野ですが、神エホバは私たちもそのことが行えるゆえにみ子が教えてくださっています。神エホバとイエスに感謝を表したいと思います。
仕返しをするのは正しくないことが分かりますので、イエスの教えを学び守り行う「思慮深い人」として歩みたいと思います。
感謝とクリスチャン愛を添えて♪