あなたも何かが光り輝く様をご覧になり、心が喜び感動を覚えたことがあるかもしれません。それは花々が陽を浴びて輝いている時や川面のきらめき、海の輝き、木の葉の輝き、夕焼け、朝焼け、春の空気の輝き、雪面の輝き、人の内面から生じるその人の輝き、善を行う喜びの輝き、等々、様々な光り輝く様を思い起こされるに違いありません。輝く光は天の神エホバから下って来ます(ヤコブ1:17)。今日はエホバの善ゆえに光り輝く、という内容を聖書からお伝え致します。
悪魔サタンは、エデンの園でエバを誘惑したとき、まず神エホバの備えの善良さに対する信頼を巧妙に損なおうとしました(創世記2:9;3:15)。 神エホバは、アダムに、「園のすべての木から、あなたは満ち足りるまで食べてよい」と告げられました(創世記2:16)。美味しい実りをもたらす沢山の樹木がエデンの園を彩っていたに違いありません。しかし、神エホバはアダムに対し、「善悪の知識の木については、あなたは食べてはならない。それから食べる日にあなたは必ず死ぬからである」と命じられました(創世記2:17)。では、サタンがエバに対してまずどんな巧みな言い回しで質問したのかに注目してください。サタンはこう質問しました。「あなた方は園のすべての木から食べてはならない、と神(エホバ)は言われたのは本当ですか」(創世記3:1)。サタンは巧みに神エホバの言葉を歪めて、神エホバが良い物を差し控えている、と疑念を抱くように仕向けた質問をしたのです。サタンの策略は功を奏しました。エバは、サタンの策略によって、神エホバの善良な備えに疑念を抱き、禁じられた「善悪の知識の木」の実を取って食べ、夫のアダムもその実を共に食べ、善良な神エホバに罪を犯し、エホバの警告した通りに死に至りました(創世記3:2~6,19)。現在も多くの人々は、神エホバの善良な備えの教え、つまり私たちを益することを教えるみ言葉を退け、悪魔サタンの配下にいます(イザヤ48:17,18.ヨハネ第一5:19)。
エホバの証人のクリスチャンたちは、人殺しであり、偽りの父である悪魔サタンの策略の神エホバへの疑念の種がいかに深い悲しみやみじめさをもたらしたかを聖書を通して学び知っています(イザヤ43:10.ヨハネ8:44)。ですから、聖書のエレミヤ31章12節の、「彼ら(エホバの民・エホバの証人)は必ず、エホバの善ゆえに光り輝くであろう」という言葉に心を留めましょう。神エホバの善良さゆえに、私たちは喜びでまさに光り輝くのです。善良さに満ちる神エホバの動機を疑う余地は何もありません。神エホバのみ言葉は通り道の光なのです(詩編119:105)。神エホバの言葉は信頼でき、神エホバは、ご自分を愛する人々にとって良い事柄だけを望んでおられるのです(ガラテア5:22,23)。
さらに、神エホバの善良さについて他の人々に宣明する時、私たちは大いに喜びます。神エホバの民に関し、聖書の詩編145編7節には、「彼らはあなた(エホバ)の豊かな善良さに関する言葉をほとばしらせます」と記されています。私たちはい1日生きるごとに、神エホバの備えられた善良さの多くの恩恵を受けています。それには各種の物理的法則、太陽、月、星々、豊富な食糧、美しい花々や景観、土壌、空気、水、エネルギー、鉱物資源等々があります。では、あなたもご自分の力で生きているのではないことが理解できるのであれば、神エホバの善良さについて思いを巡らし、感謝を表すことを毎日の習慣にするのは如何でしょうか。偉大な創造者エホバ神の愛を基盤とする善良な特質について考え、それについて日ごとに神エホバに感謝しつつ、他の人に語ることは、善良な神エホバに見倣う助けになるでしょう。さらに、神エホバのような善良な事柄を行なおうと努める時、神エホバにいっそう近づくことが出来ます(ヤコブ4:8)。使途ヨハネをこう書いています。「愛する者よ、悪いことではなく、良いことを(神エホバから)見倣う者となりなさい。善を行なう者は神(エホバ)から出るのです」(ヨハネ第三11)。
神エホバの善良さは、その他の特質とも結びついています。例えば、神エホバは「愛ある親切(あるいは、忠節な愛)に満ちて」おられます(出エジプト記34:6)。その特質は善良さよりも対象が絞られています。神エホバはその特質を、特にご自分の忠節な僕たちに対して示されるからです。次回からは、神エホバの愛の「ただあなた(エホバ)だけが忠節な方です」と、いうことに関してお伝え致します。引き続きお読み下されば嬉しく存じます。
桜舞う 花のじゅーたん 朝の道 今日の一句
市内ふくい真珠店の「生け花」