神エホバが私たちの体を「畏怖の念をおこさせるまでにくすしく創造してくださった」ことに深く感謝の念が深まり、神エホバに近づいてみたいと思われるのではないでしょうか(詩編139:14.ヤコブ4:8)。偉大な創造者エホバ神は、神エホバの善良さを、ご自分を「恐れる者たちのために蓄えられました」(詩編31:19)、ということに関し、今日は「永遠の益をもたらす善良さ」ということをお伝え致します。
イエスはこう述べました。「「人は、パンだけによらず、エホバの口から出るすべてのことばによって生きなければならない」と書いてあります」(マタイ4:4)。実際のところ、神エホバの霊的備えは、物質的な備え以上に良いものをもたらします。それは永遠の命に通じるからです。神エホバは1914年以降の終わりの日に、ご自分の回復させる力をを用いて、霊的パラダイスを生み出してこられました。その霊的パラダイスの主要な特徴となっているのは、豊かな霊的食物です。
回復に関する聖書の重要な項目の中で、預言者エゼキエルは、回復され栄光を帯びるようになった神殿の幻を見ました。その神殿から水が流れ出、幅と深さが徐々に増してゆき、ついには「二倍の大きさの奔流」となります。その川は、流れて行く先々で祝福をもたらします。川の両岸には、豊かな食物といやしを提供する木々が茂っています。そして川は、塩分が多くて生物のいない死海にも命と生産力を与えます(エゼキエル47:1~12)。では、この全ては何を意味しているのでしょうか。
神エホバがエゼキエルに与えた幻は、神エホバが、清い崇拝のためにご自分の取決めを回復させることを意味しています。その取決めは、エゼキエルの見た神殿によって表わされています。命を与える神エホバの備えは、幻の中の川のように、しだいに豊かに神エホバの民にへと流れて行くのです。清い崇拝が回復した1919年以降、神エホバは、命を与える備えを持ってご自分の民を祝福して来られました。どのようにでしょうか。それは聖書、聖書文書、集会、大会などが、幾百万ものご自分の民に肝要な真理を伝える点で大いに役立って来ました。神エホバは、それらを用いて、命を与えるご自分の備えのうちで最も重要なもの、つまりキリストの贖いの死の犠牲により、神エホバを真に愛し恐れる人々は、神エホバのみ前における清い立場と永遠の命の希望を得ることができます。それゆえ、この事物の体制の終わりの時に、一般の人々が霊的な飢きんに苦しんでいるにも関わらず、神エホバの民は豊かな霊的な宴を楽しんでいるのです(イザヤ65:13)。
エゼキエルの見た幻の川は、今の事物の体制が終わりを迎えたら流れなくなる、という意味ではありません。それどころか、イエス・キリストの千年統治の期間中、いっそう豊かに流れます。そして神エホバは、イエスを王とする神の王国を用いて、イエスの贖いの死の犠牲の価値を全面的に適用し、忠実な人類を除去に完全さへと引き上げて行かれます。その時、私たちは神エホバの豊かな善良さゆえに大いに歓喜し、永遠に亘って神エホバに栄光と賛美を帰すことになります。
次回は神エホバの善良さの他の面についてお伝え致します。引き続きお読み下されば幸いです。
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土筆摘む 人いなくなり 変化かな 今日の一句
王国会館の「雪柳」