お訪ねした家のお隣の庭にピンクの華やかな吾妻石楠花が
見事に咲いていました。
花期は花図鑑では4月~6月と紹介されています。
用途は切り花、鉢植え、庭木です。
花言葉は「威厳」と紹介されています。
今日は吾妻石楠花とハナニラを紹介致します。
華やかな「吾妻石楠花」
庭に咲いている「ハナニラ」
お訪ねした家のお隣の庭にピンクの華やかな吾妻石楠花が
見事に咲いていました。
花期は花図鑑では4月~6月と紹介されています。
用途は切り花、鉢植え、庭木です。
花言葉は「威厳」と紹介されています。
今日は吾妻石楠花とハナニラを紹介致します。
華やかな「吾妻石楠花」
庭に咲いている「ハナニラ」
偉大な創造者エホバ神の善良さは、神エホバの愛の際立った一面です。愛に溢れる善良なエホバ神は、「あらゆる良い賜物、またあらゆる完全な贈り物」の与え主なのです(ヤコブ1:7)。今日は神エホバの豊かな善良さの証拠について聖書からお伝え致します。
人間は皆、神エホバの善良さの恩恵を受け生活をしています。聖書の詩編145編9節には、「エホバはすべてのものに対して善良である」と記しています。あらゆるものを包み込むような神エホバの善良さを示す、どんな例があるでしょうか。聖書はこう記しています。「ご自分は善いことを行なって、あなた方に天からの雨と実りの季節を与え、食物と楽しさをもってあなた方の心を存分に満たされたのですから、決してご自身を証しのないままにしておかれたわけではありません」(使徒14:17)。あなたは、楽しい食事をして気分が高揚した経験があるのでないでしょうか。神エホバの善良さによって、この地球に、豊かな食物を生産するための淡水利用システムや「実りの季節」が備わっていなかったなら、豊かな食事を楽しむことはできないでしょう。神エホバはそのような善良さを、神エホバを愛する人だけではなく、すべての人に差し伸べておられます。イエスはこのように教えられました。「父(エホバ)は邪悪な者の上にも善良な者の上にもご自分の太陽を昇らせ、義なる者の上にも不義なる者の上にも雨を降らせてくださるのです」(マタイ5:45)。
太陽、雨、実りの季節などの定常的な働きによって、人類があふれんばかりに受けている比類のない善良で寛大さを、多くの人は当たり前のものとし、神エホバに感謝を表わさないでいます。一例としてリンゴのことを考えてみましょう。温帯地方では、リンゴは珍しい果物ではありません。とはいえ、リンゴは美しく、食べて美味しく、爽やかな果汁と大切な栄養素をいっぱいに含んでいます。世界には約7,500種のリンゴもあることをご存知でしたか。赤いものから、金色、黄色、緑のものまで色とりどりで、大きさも、サクランボより少し大きいものから、グレープフルーツほどのものまで様々です。小さなリンゴの種を手に載せると、取るに足りないものに見えて、大抵の人は関心を払うことなく捨てるかも知れません。しかし、その種が成長すると、とても愛らしい木になり、美しい花を咲かせます(ソロモンの歌2:3)。春になると、リンゴの木は、まばゆいばかりの花で冠を頂いたようになります。そして、秋には実を結びます。平均的なリンゴの木は、毎年20キロ入りの箱で20ケース分もの実を付け、長いものは75年もそれを続け、人間に恩恵をもたらしています。人間の知恵ではこのようなリンゴを決して設計することができません。
次回も引き続き神エホバの豊かな善良さの証拠をお伝え致します。引き続きお読みしてくださり、善良さに溢れるエホバ神に近づいてくださる方々は幸いです(ヤコブ4:8)。
石楠花や 鮮やかに咲く 雨の庭 今日の一句
市内ふくい真珠店の「生け花」
こちらも、ここのところ花冷えのする天候ですが
ソメイヨシノ桜が満開です。かえって花冷えによって
満開の桜が土、日曜日あたりまで持続し、休日に
桜の満開が楽しめるのではないかと思います。
今日は満開のソメイヨシノ桜と赤の椿を紹介致します。
近くの道辺の満開の「ソメイヨシノ桜」
次々と咲く庭の「椿」
偉大な創造者エホバ神の善良さを、聖書は強調し、「神(エホバ)の善良さは何と大きいのだろう」と記していることを先にお伝え致しました(ゼカリヤ9:17)。今日は、善良さは神エホバの愛の際立った一面であることについて聖書からお伝え致します。
現在の多くの言語において、「善良」、もしくは「善いこと(または、良いこと)」という概念は多少漠然としています。しかし、聖書が明らかにしているところによると、善良は漠然とした概念ではありません。おもに、徳や道徳的卓越性を指しています。ある意味で、神エホバには善良さが浸透していると言うことができます。力、公正(義)、知恵など、神エホバの比類のない属性すべて、徹頭徹尾、善なるものです。とはいえ、善良は神エホバの愛の表われの一つである、というのが最善の説明でしょう。なぜでしょうか。
善良は、活動的で外交的な特質なのです。使徒パウロは、人間の善良さが義よりずっと強く人を引き付けることを指摘しています(ローマ5:7)。義なる人は、法の要求を必ず忠実に固守するでしょうが、善良な人はそれ以上のことを行います。自ら進んで、他の人の益となる事柄を積極的に行おうとするのです。神エホバは、まさにその意味で善良な方です。そのような善良さが、限りない神エホバの愛から生じていることは明らかです。
さらに、神エホバは善良さの点で特異な方です。イエスが贖いの死を遂げる少し前、ある男性が質問しょうとしてイエスに近づき、「善い師よ」と呼びかけました。するとイエスは、「なぜわたしのことを善いと呼ぶのですか。ただひとり、神(エホバ)以外には、だれも善い者はいません」と答えました(マルコ10:17,18)。このイエスの答えに、あなたは当惑されるかも知れません。なぜイエスはその男性の言葉を訂正したのでしょうか。イエスは実際に「善い師」だったのではないでしょうか。
その男性は、「善い師」という表現を、へつらいの称号として用いたようです。イエスは慎み深くも、そのような誉れを、最高度に善良な方である天の父エホバに帰しました(箴言11:2)。それとともに、イエスは一つの深遠な真理をはっきり述べていました。何が善であるかに関する基準となるのは、神エホバおひとりなのです。神エホバだけが、何が善で何が悪かを決定する至高の権利をお持ちです(創世記2:17)。アダムとエバは悪魔サタンに唆され神エホバに反逆し、神エホバに禁じられていた善悪の知識の実を食べることにより、その神エホバの至高の権利を侵害したのです(創世記3:1~6)。イエスは、アダムとエバと異なり、み父エホバに基準を定めていただこうと、従順な態度を貫かれました(フィリピ2:8)。
加えてイエスは、真に善なる全ての源が神エホバにあることをわきまえていました。神エホバは、「あらゆる良い賜物、またあらゆる完全な贈り物」の与え主なのです(ヤコブ1:17)。では、神エホバの善良さが、その愛に基づく寛大さのうちにどのように明らかに示されているかを調べてみましょう。
次回は、神エホバの豊かな善良さの証拠についてお伝え致します。引き続きお読み下されば嬉しく存じます。
春雷や 真上で炸裂 車止め 今日の一句
かかりつけ医院の受付の「生け花」
ソメイヨシノ桜も満開になり、庭ではハナニラが
沢山咲いています。ハナニラは花弁が星形の可愛い花です。
花期は3月~4月です。
用途は鉢植え、庭植えです。
花言葉は「愛らしい人」と紹介されています。
今日はハナニラとミズキの花を紹介致します。
庭に咲いている「ハナニラ」
お訪ねした家の「ミズキの花」