中東情勢が緊迫している。中でもアメリカとイランは仲が悪く、一触即発の危機にある。しかし、アメリカの選挙民やイランの国民向けのパフォーマンスを繰り広げているとの冷めた見方もできる。おじさんが思うには、仲が悪いのは、アメリカの勝手極まりない仕業に由縁していると思う。アメリカがシャーの独裁を応援し、その結果起こったイラン革命、さらには大使館占拠事件、さらにイラン・イラク戦争におけるイラクへの荷担(結果フセインを支援)、そのフセイン体制を今度は打倒し、結果イラクではイランで多数を占めるシーア派が実権を握る。全てではないかもしれないが、少なくとも因果関係はあるのである。
その中東に接する国トルコも苦しんでいる。約10年前、娘とこの地を旅行した。知られるとおり親日国であり、食べ物もおいしく、遺跡、自然など魅力満載の国である。旅行当時、この国は中進国として、さらにはEUに数年内に加盟する国として、非常に活気があった。しかし、エルドアンが独裁の政治をどんどん進めるにつれ、経済は停滞し、テロも頻発するようになった。この国はどこへ向かおうとしているのか。
松富かおり著「エルドアンのトルコ」を読んでみた。トルコはケマル・アタチュルクが建国の父と呼ばれ、彼は近代化を進めるため政教分離を徹底し、世俗主義路線を引いた。その世俗主義を守る砦となったのが軍であり、政治がイスラムに傾こうとするとき、何度も政治に介入してきた。一方エルドアンはイスラムの祭政一致の意思を最初は押し隠し、イスタンブール市長あるいはトルコ首相として貧しい住民向けの政策やインフラ投資を行い、トルコを発展させた。
しかし、次第に情報を統制したり、違う考えを抱くもの達を排除し、国民投票(彼を支持するどちらかというと貧しい国民層)により権力を集中し、さらには世俗主義を守る軍の力を削いだ。NATOの一員にもかかわらずロシアとの連携を深めたり、シリアに侵攻(クルド対策)するなど西側の諸国から疑いの目で見られている。国内ではイスラム色が強くなることに対し、貧困層を中心にそれを支持する勢力とそれに反対する勢力との分断を生み、不安定化している。外国からの投資はしぼみ、むしろ逃避していく。アメリカもそうであるが、私たちはイスラム教の影響の大きさを十分理解していないように思われる。イランもシャーが進めた世俗主義に反発して、イラン革命が起こった。エジプトでは中東の春は起きたが、その後起きたイスラム化に国民と軍が動き、再び軍政下に戻った。再びトルコを訪れたいと思う日はくるのであろうか。
日本思想史を専門とする先崎彰容氏の本を何冊か読んだ。「維新と敗戦」、「未完の西郷隆盛」、「ナショナリズムの復権」、「違和感の正体」、「バッシング論」。頭が悪いせいかなかなか理解できないが、本の中に出てくる多くの思想家たちの考えを知ることはとても楽しい。ここでは「未完の西郷隆盛」について少しだけ書いてみる。著者は高校受験後に読んだ本が西南戦争でそれ以来西郷に興味を持ち、しばらくの空白の後、東日本大震災で被災し、数多くの死を目にしたことで、にわかに彼の中に西郷隆盛が蘇ってきたと言う。以来、大学と被災した住居を通いながら「明治時代に留学していた」と書いている。
この本では、福沢諭吉、中江兆民、頭山満、橋川文三、江藤淳、司馬遼太郎の描く西郷像に迫っている。最後の司馬のみが西郷評価が低い。曰く「明確な進路像」を持っていないと。しかし、日本人の西郷好きは止まらない。比べてはいけないが義経などの判官びいきもあるかもしれない。著者の言うところによれば、日本人の多くは西郷に政治家としての力量や理想像を求めていない。むしろ、近代社会の中でどう生きればよいのか、どう死ねば良いのかを考えるとき、日本人の心の中に西郷はその魔術的な魅力で大きな姿を現してくるのではないか。また、著者は、日本は今後成熟社会を迎え、年を追うごとに多数の高齢者が亡くなっていくことになる。著しい死の到来を前にして、日本人は生と死を等分に考えねばならないことに気づき始めているのではないか。
その中東に接する国トルコも苦しんでいる。約10年前、娘とこの地を旅行した。知られるとおり親日国であり、食べ物もおいしく、遺跡、自然など魅力満載の国である。旅行当時、この国は中進国として、さらにはEUに数年内に加盟する国として、非常に活気があった。しかし、エルドアンが独裁の政治をどんどん進めるにつれ、経済は停滞し、テロも頻発するようになった。この国はどこへ向かおうとしているのか。
松富かおり著「エルドアンのトルコ」を読んでみた。トルコはケマル・アタチュルクが建国の父と呼ばれ、彼は近代化を進めるため政教分離を徹底し、世俗主義路線を引いた。その世俗主義を守る砦となったのが軍であり、政治がイスラムに傾こうとするとき、何度も政治に介入してきた。一方エルドアンはイスラムの祭政一致の意思を最初は押し隠し、イスタンブール市長あるいはトルコ首相として貧しい住民向けの政策やインフラ投資を行い、トルコを発展させた。
しかし、次第に情報を統制したり、違う考えを抱くもの達を排除し、国民投票(彼を支持するどちらかというと貧しい国民層)により権力を集中し、さらには世俗主義を守る軍の力を削いだ。NATOの一員にもかかわらずロシアとの連携を深めたり、シリアに侵攻(クルド対策)するなど西側の諸国から疑いの目で見られている。国内ではイスラム色が強くなることに対し、貧困層を中心にそれを支持する勢力とそれに反対する勢力との分断を生み、不安定化している。外国からの投資はしぼみ、むしろ逃避していく。アメリカもそうであるが、私たちはイスラム教の影響の大きさを十分理解していないように思われる。イランもシャーが進めた世俗主義に反発して、イラン革命が起こった。エジプトでは中東の春は起きたが、その後起きたイスラム化に国民と軍が動き、再び軍政下に戻った。再びトルコを訪れたいと思う日はくるのであろうか。
日本思想史を専門とする先崎彰容氏の本を何冊か読んだ。「維新と敗戦」、「未完の西郷隆盛」、「ナショナリズムの復権」、「違和感の正体」、「バッシング論」。頭が悪いせいかなかなか理解できないが、本の中に出てくる多くの思想家たちの考えを知ることはとても楽しい。ここでは「未完の西郷隆盛」について少しだけ書いてみる。著者は高校受験後に読んだ本が西南戦争でそれ以来西郷に興味を持ち、しばらくの空白の後、東日本大震災で被災し、数多くの死を目にしたことで、にわかに彼の中に西郷隆盛が蘇ってきたと言う。以来、大学と被災した住居を通いながら「明治時代に留学していた」と書いている。
この本では、福沢諭吉、中江兆民、頭山満、橋川文三、江藤淳、司馬遼太郎の描く西郷像に迫っている。最後の司馬のみが西郷評価が低い。曰く「明確な進路像」を持っていないと。しかし、日本人の西郷好きは止まらない。比べてはいけないが義経などの判官びいきもあるかもしれない。著者の言うところによれば、日本人の多くは西郷に政治家としての力量や理想像を求めていない。むしろ、近代社会の中でどう生きればよいのか、どう死ねば良いのかを考えるとき、日本人の心の中に西郷はその魔術的な魅力で大きな姿を現してくるのではないか。また、著者は、日本は今後成熟社会を迎え、年を追うごとに多数の高齢者が亡くなっていくことになる。著しい死の到来を前にして、日本人は生と死を等分に考えねばならないことに気づき始めているのではないか。