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城台山日記

 城台山の麓で生まれ、毎日この山に登り、野菜・花づくり、読書、山登りをこよなく愛する年寄りの感動と失敗の生活日記です。

旧板取村の最奥・滝波山に登る 19.5.8

2019-05-08 21:12:27 | 山登り
 滝波山(1413m)の三角点踏査の担当となっているO氏(我が会では「韋駄天」と呼ばれている)から6日に誘いがきた。以前聞いたところによると所要時間10時間、乗るべきか乗らざるべきか心が揺れる。困った時の助っ人E氏も誘い、受けることにした。他に三角点ハンターのB氏も一緒。

 織部の里を7時集合、最初聞いたとき、この時間では山頂に届かないと思い、確認のラインをした。応えは、林道が奥まで入っているので7時間程度で行けるとのこと。O氏の運転する車に同乗、次々とショートカットの道を選び、ぴゅんぴゅん車を走らせる。足だけではなく、車も韋駄天。

 滝波山には、主なルートが二つあり、一つは滝波谷をさかのぼるルート、もう一つは海溝谷をつめるルート。「奥美濃のヤブ山」にあるルートは後者で、我々もこのルートで登るのかなと思っていた。実際に登ったのは前者のルートで、通称「三俣」と呼ばれる地点まで延びる林道を使った。600m付近でゲートがあり、その前のカーブ付近の狭い場所に車を駐車し、1時間あまり林道を登る。


 駐車地 

 林道を歩く 比較的手入れされた林地が広がる

 桜 標高890m

 1000m付近で林道は終わる。目の前には三俣と言われる三つの谷が合流する地点、谷に目を落とすと崩落が激しい。10年前に我が会はこの谷をさかのぼってきたらしい。しかし、今や谷は大荒れでさかのぼることは難しい。その理由は、目の前に広がるはげ山、皆伐された山、小さな杉の苗が植えられていたが、大水が出れば土砂の流出は避けられない。

 林道終点からこれから登る斜面 皆伐されている

 蕪山を望む 奥は高賀山

 残り標高差400m、まずは皆伐された柔らかい土の斜面を登っていく。皆伐地帯の上は落葉樹、急斜面で木をつかみながら四つ足で登る。上にあがるにつれだんだんとヤブが激しくなる。しかし、踏み跡があり、所々には赤いテープが付けてある。急斜面を登り終えると緩斜面となり、雪が残る窪地もある。

 山頂は近い E氏提供

 少し残った雪にご満悦

山頂付近はヤブの背は低い。待望の山頂が見えてきた。山頂から北の方に目をやるとヤブの間から白山が見える。反対側には昨年の12月に登ったクラソ明神、その後に舟伏山、遠く伊吹山も見える。

 山頂で万歳

 山名板

 クラソ明神

 林道終点まで戻ってきた 我が一行と昆虫採取の人 
 終わってみれば昼食の時間も含めて5時間、想定外の時間となった。林道が奥まで延びていること、ヤブが酷くなく道があったことが幸いした。しかし、皆伐による谷の崩壊は痛ましい。これをせき止めるために下流に土砂堰堤が作られる。ますます自然の破壊は進んでいる。


コースタイム 駐車地8:25→林道終点9:32→山頂10:55~11:45→駐車地13:20


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伝統行事揖斐祭りの一部始終 19.5.6

2019-05-06 19:34:37 | 地域のこと他
 今日5月6日(月)揖斐祭り関連の仕事が全て終了した。揖斐祭りは、三輪神社例大祭の中の一連の行事である。メインな行事として、山車で行われる子ども歌舞伎の上演、御輿の渡御(三輪町内をめぐる)、子ども神輿の渡御がある。私の地区には山車はないが、子ども神輿がある。子ども神輿は三輪地区全体で9台あるが、子どもの減少により、今年は5台が参加した。
 3月下旬から4月中頃までにまず子ども神輿の担ぎ手を探すことから仕事が始まる。今年は中学生、男子6名、女子6名が集まった。担ぎ手を三輪区以外から集めてくることもここのところ行われ、我が地区は昨年の2名に続き、今年は1名が加わった。当番班は4月29日に地区の会館に置かれている神輿に飾り付け及び横棒(担ぎ手のため)を取り付ける。合わせて、神輿に安置されているご神体を三輪神社に返納する。

 我が地区の子ども神輿

 5月1日から幟が揚げられる(かつては木の長い棒であり、これを直立させるのはなかなか難儀であった。今年は1日が雨であったので2日になった)。2日に担ぎ手の子ども達を初招集し、肩あわせを行い、夜の7時半から三輪神社で行われるご神体の拝受にのぞむ。暗闇(かつてと比べると随分明るくなった)で行われる儀式、少し神秘的である。子ども神輿は、本番に備えて、練習を行う。神輿を頭上高く上げ、ぐるぐる回転する、さらに風車のようにあるいは波のように回転させる。練習の甲斐あって、4日にはほぼ出来るようになった。
 5月3日には会館の幕(子ども神輿会館祝幕)を張る。

5月4日からが祭りの開始で、朝には例大祭の神事が行われる。

 神子の舞

 4日のおとな神輿 昨年改修された

この日から山車が神社境内に引き入れられる。山車は5台あり、毎年交替で子ども歌舞伎を行う。今年は上新町がその担当。午後には一旦それぞれの地区に戻る。この移動のための引き手が高齢化のため、非常に難しくなっている。このころには沿道には露天商店が立ち並ぶ。

 4日三輪神社の境内に5台が勢揃い
 5日いよいよ本番である。まずは、8時半三輪神社を神楽が出発する。神楽は3人が担当し、各戸を回っていく。

各戸ではご祝儀を用意して、待っていてくれる。私も参加したことがあるが、100戸の家を2時間以内にもれなく回るのはなかなか大変である。終わると別の地区に引き継がれる。お昼頃になると、いよいよ子ども神輿が会館を出発し、三輪神社に向かう。神事のあと、おとな神輿(お先、本社、お後)を先頭に渡御が始まる。

 おとな神輿の担ぎ手 消防団とか町内の会社が分担するのが最近の傾向

 渡御は、三輪地区内の10地区(6地区は江戸時代からある、我が地区を含む3地区は明治の終わり頃)を順次巡っていく。各地区では地区神社へのお参りと担ぎ手へのお接待の準備をしている。4時頃、中町が中間点で担ぎ手の交替(交替しない人もいる)、軽食をとる場所となっており、歴史的には「御旅所」と言うらしい。5時過ぎ最後の地区を過ぎてからが、この渡御のハイライト部分となる。混雑する本町通りを行ったり来たりするのである。おとな神輿同士の競り合いもまた面白い。かつては、お互いの神輿同士がぶつかり合うようなこと、民家の軒を壊すなども無礼講で行われたが、今や警察当局の指導、担ぎ手の意識の変化などもあって随分紳士的になった。しかし、警護の任にあたる私たちは、頭上高く上げられた場合には、ぶつからないように手を差し出す。
 6時半が近づくと、警護者は神社に納めることを考える。担ぎ手ももうふらふらで、腰が入っていない状態となっているので、神輿の重みはますます増していく。しかし、それでも簡単には収らない。鳥居まで来ていた神輿だが、再び人混みに戻っていく。鳥居をくぐり、山車の前で「おばば」を唄いながら神輿3台が競演した後、出発場所に収った。

 最後の競演
 時間は6時45分頃。儀式のあと、おとな神輿はおさまり、子ども神輿はそれぞれの地区に引きあげる。私は、祭り当番班の一員でもあるので、このあとも仕事が待っていた。しかし、山車を持っている地区は、歌舞伎終了後、疲れた体で山車を引いていかなければならない。
 伝統行事とは貴重な文化であり地域の結束をはかるものである。しかし、その維持にはお金も労力も必要である。ましてや、少子化と高齢化のダブルパンチである。我が地区にも、私が子ども時代からずっと関わってきた神輿をつれなくなる日が近く訪れるのは確実であると思う。
 
 
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大展望のドウの天井 昨年の記録

2019-05-04 20:57:05 | 過去の山登り記録
ドウの天井(1332.7m) 


行程 5月6日 上大須駐車地7:30→鉄塔・管理道8:10→通風塔?9:50→山頂11:00~11:35→管理道ジャンクション12:35→川浦ダム湖12:55→小母倉13:25→駐車地16:30
参加者 2名

 連休の最後の日にドウの天井に登ることを計画した。この山は、かつてわが会が板取村から西ヶ洞を遡行して登ったと聞き及んでいる。泊まりがけとは言え長大な行程である。もちろん私たちは、現在最も簡単に山頂に到る方法を選んだ。管理道3.6km付近にある鉄塔に出るため、上大須ので2人の住民に道を聞く。一人目ははずれ、二人目は実に的確に進むべき道を教えていただいた。

 教えていただいたのは、右の家の住人 
この家の左手を進み、すぐに左に大きく回ると小さな沢があり、堰堤が見えてくる。その堰堤を左に渡った後は尾根を忠実に登っていくと鉄塔に出る。その左に管理道が見える。後は長い長い舗装道歩きとなる。まことに単調だが、左手にはそれを紛らしてくれる景色が次々と展開する。まずは大白木山、山頂のアンテナが目印。次に左下には上大須ダムとダム湖が見えてくる。そして屏風山、実に形が堂々としている。奥美濃の盟主、能郷白山はまだ雪を残している。
 随分登った(1067m付近)頃、よくブログにも登場する不思議な三角屋根の建物が見えてくる。この建物の直下には川浦ダム湖からの送水管がある。そうなると送水管の管理のための施設であることはほぼ間違いない。この上の管理道にはゲートがあるが、隣に人が通れるようになっている。

 やがて管理道のジグザクは終わり北東方面に進むと、残雪豊かな白山が見えてくる。荒島岳も見える。小さく蕎麦粒山も見える。山頂手前には10台ほどの駐車場も現れる。一体何のための駐車場だろうか。ついにかつて整備された遊歩道が現れた。これを進むとすぐに山頂に着いた。山頂には山の名を表すものが何もない。一方で根尾側と板取側にはそれぞれ銅製の山名案内盤がある。

 昼食を済ませるとすぐに次の目的地三等三角点の「小母倉」に向かう。一端、ジャンクションまで戻り、再び登り返す。20分で川浦ダム湖に到着。小母倉はこの湖畔にそびえている。トイレと思しき建物の左を通ると巡視道で良く見る黒の階段が上に続いている。「中部電力境界」と書かれた標識を進むと最後はフィックスロープが随所に張られた急斜面となる。今回最大のアルバイト。見事なミツバツツジを過ぎるとやがて山頂に到着。

 小母倉から見る山頂?

 小母倉を後にし、後は下りばかり。しかし、歩行距離20kmを超えるあたりから、足取りは段々と重くなる。あと目指すは、3つめの三角点「大須」、ここは朝登ってきた尾根の隣だから簡単だろうと考えた。しかし、急勾配の斜面に苦戦し、時間が遅くなったこともあって最終的にギブアップし、朝の道に戻る。それでも何回か道を外れてしまい、ヤブ道の下りの難しさを改めて認識した次第。無事に駐車地まで戻ったところ、道を教えてくれたおじさんが我々を出迎えてくれた。あまりに遅いので心配していたとのこと。家に寄っていけと言うおじさんにお礼を返しながら、帰路についた。

 ここで管理道について一言付け加える。既述した駐車場の存在、遊歩道、山の案内盤など、管理道を作った当初は一般開放することを前提にしていたと思われる。電力業界の料金の決め方を知ると管理道は私たちが払う電力料金で作られたことになる。もちろん、一般開放すれば管理に余計にお金がかかるから、これも困る。結論を言えば、歩行者ぐらいには、入口のゲートを開けてくれても良いのではないか。ヤブの道が嫌いな人には朗報と思うがいかがか。


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