近所に障害者の授産施設がある。ここでは簡単な(失礼な言い方かもしれないが)作業(企業からの受託?)を行っているし、廃用植物油から粉石けんなども作って、販売している。毎朝、通所者が散歩をしているので、毎日城台山に登ったあとで遭遇することが多い。福祉施設であるので、通所者が作業により得る収入はおそらく低いであろう。
クロネコヤマトの宅急便を始めた小倉昌男氏の願いは、障害者の一万円にも満たない収入を少しでも上昇させることであった。パン屋「スワンベーカリー」を開店させ、そこで働く障害者の給料を10万円以上にすることを経営の目標にした。(ここまでが前置き)
今中博之著「社会を希望で満たす働きかたーソーシャルデザインという仕事」を読んだ。もちろん、この本がどんな内容であるのか、著者がどんな人であるのかについて知っていたわけではない。しかし、読み進めるうちにこれこそ「未知との出会いは読書から」ということを強く感じる一冊となった。
表紙の裏の「あなたの「怒り」は何ですか」と強烈な言葉から始まる。「ささやかな怒り」から、世界の不正と差別を憎む「ささやかでない怒り」まで怒りは地続きに存在している。著者である私の怒りは、攻撃されダメージを負った「社会的に弱い人」をさらに痛めつける人や社会のシステムに向けられている。・・・・・私は怒りを作り出す社会的課題を「ソーシャルデザインという仕事」で希望に変えることを試みている。その希望は実践することで生み出される。かといって理想を貫徹できると思うほど私は理想主義者でも純朴でもない。・・・・・
私が「デザインと福祉」のつながりに興味を持ったのは、決してささやかでない怒りに依拠している。その怒りは、「障害者でありソーシャルデザイナーである」私を通して生まれたものだ。障害者と社会福祉施設のスタッフの共作でデザインされた商品が、市役所のロビーや駅前などで二束三文で販売されている。この実践の場として、著者は15年前に社会福祉法人を立ち上げ、知的障害者の生活を支援しながら、彼らの生み出すアート作品を同情や寄付という意味で買ってもらうのではなく、きちんとしたアートして市場に出す試みをしている。この「アトリエインカーブ」は、障害者25名とスタッフ10名(学芸員の資格とデザイナーとしての能力を持っている)で成り立っている。
社会福祉法人と言えば、障害者や高齢者施設の運営を行っている。自前の土地や資金が必要で簡単には設立できないが、設立されれば国等から運営補助金、施設の建設補助金が得られる。また、それぞれの法人は付随的事業として様々なことを行っている。最近は職員の低い給与が問題となっているが、安定性はある。この基盤のうえで市場との接合を進めている。ソーシャルビジネスとして、地域の様々な課題をビジネスの手法で解決することが随分前から行われている。しかし、著者によればこうした試みはあまり成功していない。企業として成り立つのはやはり難しい。そう考えると著者の試みはいかに緻密克つ大胆なものであるかわかる。(まさに熱い胸とクールな頭)
この本に出てくる印象的なところがある。障害者は依存をし、健常者は自立しているように見えるが実際は違う。障害者はその生活範囲が限られていることから、支援者・依存者が少なく、依存量も多い。これに対し、健常者は、生活範囲が広く、支援者・依存者も多くなるし、一人の支援量も少ない。すなわち、障害者の依存度は見えるが、健常者のそれは見えにくい。
この本を読みながら芦屋雁之助主演の「裸の大将」を思い出した。また、我々は小さな怒りはますます増えているものの、著者の言う「ささやかでない怒り」については不感症になっている。怒っても仕方がないとあきらめている。これでは社会は変わらない。
ここで紹介できない(能力不足のため)ことが沢山ある。是非手にとってみて欲しい。
クロネコヤマトの宅急便を始めた小倉昌男氏の願いは、障害者の一万円にも満たない収入を少しでも上昇させることであった。パン屋「スワンベーカリー」を開店させ、そこで働く障害者の給料を10万円以上にすることを経営の目標にした。(ここまでが前置き)
今中博之著「社会を希望で満たす働きかたーソーシャルデザインという仕事」を読んだ。もちろん、この本がどんな内容であるのか、著者がどんな人であるのかについて知っていたわけではない。しかし、読み進めるうちにこれこそ「未知との出会いは読書から」ということを強く感じる一冊となった。
表紙の裏の「あなたの「怒り」は何ですか」と強烈な言葉から始まる。「ささやかな怒り」から、世界の不正と差別を憎む「ささやかでない怒り」まで怒りは地続きに存在している。著者である私の怒りは、攻撃されダメージを負った「社会的に弱い人」をさらに痛めつける人や社会のシステムに向けられている。・・・・・私は怒りを作り出す社会的課題を「ソーシャルデザインという仕事」で希望に変えることを試みている。その希望は実践することで生み出される。かといって理想を貫徹できると思うほど私は理想主義者でも純朴でもない。・・・・・
私が「デザインと福祉」のつながりに興味を持ったのは、決してささやかでない怒りに依拠している。その怒りは、「障害者でありソーシャルデザイナーである」私を通して生まれたものだ。障害者と社会福祉施設のスタッフの共作でデザインされた商品が、市役所のロビーや駅前などで二束三文で販売されている。この実践の場として、著者は15年前に社会福祉法人を立ち上げ、知的障害者の生活を支援しながら、彼らの生み出すアート作品を同情や寄付という意味で買ってもらうのではなく、きちんとしたアートして市場に出す試みをしている。この「アトリエインカーブ」は、障害者25名とスタッフ10名(学芸員の資格とデザイナーとしての能力を持っている)で成り立っている。
社会福祉法人と言えば、障害者や高齢者施設の運営を行っている。自前の土地や資金が必要で簡単には設立できないが、設立されれば国等から運営補助金、施設の建設補助金が得られる。また、それぞれの法人は付随的事業として様々なことを行っている。最近は職員の低い給与が問題となっているが、安定性はある。この基盤のうえで市場との接合を進めている。ソーシャルビジネスとして、地域の様々な課題をビジネスの手法で解決することが随分前から行われている。しかし、著者によればこうした試みはあまり成功していない。企業として成り立つのはやはり難しい。そう考えると著者の試みはいかに緻密克つ大胆なものであるかわかる。(まさに熱い胸とクールな頭)
この本に出てくる印象的なところがある。障害者は依存をし、健常者は自立しているように見えるが実際は違う。障害者はその生活範囲が限られていることから、支援者・依存者が少なく、依存量も多い。これに対し、健常者は、生活範囲が広く、支援者・依存者も多くなるし、一人の支援量も少ない。すなわち、障害者の依存度は見えるが、健常者のそれは見えにくい。
この本を読みながら芦屋雁之助主演の「裸の大将」を思い出した。また、我々は小さな怒りはますます増えているものの、著者の言う「ささやかでない怒り」については不感症になっている。怒っても仕方がないとあきらめている。これでは社会は変わらない。
ここで紹介できない(能力不足のため)ことが沢山ある。是非手にとってみて欲しい。