醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより  993号  白井一道

2019-02-09 13:05:09 | 随筆・小説



  水仙や白き障子のとも移り   芭蕉



句郎 元禄4年10月中旬の頃、芭蕉は名古屋、熱田、梅人亭の俳諧に招かれ、詠んだ発句が「水仙や」の句だった。
華女 掃き清められた部屋の小さな床の間には白い水仙が活けられていたのね。
句郎 水仙が綺麗ですね。本日はこのようなお座敷に招かれありがとうございますと、芭蕉は亭主、梅人に挨拶をした句なのかな。
華女 白い障子にさす日の光の中に白い水仙の花が活けられているのよね。俳句とは即興的にその場のものを詠んで挨拶を交わすものが俳句なのね。
句郎 初めて出会った人とも俳諧を交わすことによって心の交流をすることができる。それが俳諧というものだった。
華女 人は人とおしゃべりをしたいのよね。女は特におしゃべりが好きなのよね。俳句とは女のおしゃべりのようなものなのね。
句郎 男もおしゃべりがしたい。だから一人で居酒屋に行く。見ず知らずの人とそこでおしゃべりを楽しむ。
華女 男も女もおしゃべりがしたいのよね。楽しいおしゃべりをしたいのよ。
句郎 江戸時代は身分制社会だったからおしゃべりを楽しむなんていうことはあり得なかった。特に男の世界ではね。
華女 男の世界では一人一人に上下の位がつけられていたんでしょ。そこでのおしゃべりは位の高い人が好き勝手なことを話し、周りの人々はただ聞くだけじゃないの。
句郎 だからそこにはおしゃべりを楽しむなんて何もなかった。位の上の人の自慢話を聞くだけだった。このようなおしゃべりからは俳句が生まれるはずがない。
華女 同じような自慢話を何回も聞かされるのは嫌になるだけね。母からよく聞かされたわ。祖母の同じ話を毎晩母は聞かされたと言っていたわ。祖母は母にとっては姑だったから。
句郎 おしゃべりが楽しめるのは友人同士の間だけだよね。対等に人間関係の間でしかおしゃべりを楽しむことなんてできないよね。
華女 対等な関係だから楽しめるのよ。互いに尊重し合う関係があって初めておしゃべりが楽しめるということよ。
句郎 商業が発達してくると人と人との関係が対等化するということがあるのではないかと思う。固定的な上下関係ではなくなってくる。積極的に人は人に働きかけていくようになる。人は人にものを買ってもらうために、人は人にものを売ってもらうために。商業の世界にあって、人は自分の地位に安住することができない。絶えず動きまわり、ものを買い、ものを売る。これが商業だ。
華女 絶えず見ず知らずの人と出会い、ものを売ったり買ったりするのが商売というものね。
句郎 俳諧を楽しむということは見ず知らずの人と交流するということ、共に笑い合うということなのかもしれない。商業の隆盛なしには俳諧の勃興は無かったのではないかと思うな。
華女 「水仙や白き障子のとも移り」と客が亭主に挨拶すると亭主が答えてくれるのよね。なんて答えたのかしらね。
句郎 亭主である梅人は「炭の火ばかり冬の饗応(もてなし)」と詠んだ。
華女 こんな寒い日のおもてなしは真っ赤に熾した炭火ばかりでどございます。この火鉢の暖でお許し下さいということね。
句郎 対話、おしゃべりの楽しみがこの句のやりとりにあるように思う。
華女 おしゃべりを書き言葉にしたのが俳諧というものだったのね。
句郎 亭主と客は同じ座敷に座る。ここに上下の関係はない。隣合うもの同士の関係である。上下の人間関係ではなく、対等な人間関係において初めて深い心の交流が実現した。人と人との深い人間関係の中から深い人間精神を詠む句が芭蕉の句の中に見られるようになった。