醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより  1002号  白井一道

2019-02-19 13:36:32 | 随筆・小説


  子供虐待に思う


侘助 千葉県野田市に住む十歳の少女が父親の虐待によって死亡した事件があった。母親もまた父親の娘に対する虐待を止めなかったという理由で逮捕された事件があった。この事件に日本の悲劇が表現されている。
呑助 日本の悲劇ですか。
侘助 子供は弱者だからね。最も弱い存在が子供と老人、心身に「障害」を持つ人々だ。
呑助 弱い者いじめが横行しているということですか。
侘助 父親もまた弱かった。弱かった故に更に弱いものを虐待した。
呑助 強い父親だったら自分の子供を虐待するようなことはしないでしょうね。
侘助 昔、サリドマイド薬害事件があった時に障害を持って生まれてきた子供を捨てた親がいた。捨てられた子供は児童養護施設で成長した。そのことを知った母親は自分が捨てた子供に会いに行き、謝ったという新聞記事を読んだ記憶がある。母親はただひたすら泣いて誤ったと新聞記事は報じていた。
呑助 私も記憶がありますよ。子供さんは母親を許したということなんですよね。
侘助 障害を持って生まれてきた子供を大事にして育てていく親がいる一方で捨てる親がいる。子供を大事に育てていく親より、どちらかかというと捨てたいと思っている親の方が多いという話を聞いたことがある。
呑助 今、子供を育てていくことが厳しいということなんですかね。
侘助 元文科大臣の馳浩さんが子供は社会のものだと発言していた。馳さんは子供たちが心配なく、安心して生活できるような配慮が必要だと主張している。私は馳さんの主張を聞くと彼の子供に対するやさしい気持ちが伝わってくる。そのような政治家がいることに安らぎがある。しかし野田市の児童に対する対応に日本社会が反映しているようにも思う。児童相談所職員は保護者を怖がっている。虐待を受け、助けを求めている子供より自分の身を大事にしている児童相談所職員たちがいる。その職員を援助しようとしない役所の組織がある。
呑助 自由な競争を謳歌する社会にあっては、強者は讃えられますが、弱者は誰からもかえりみられることはないですからね。
侘助 虐待をする大人もいじめをする子供たちも現代社会の膿のような存在だと思う。
呑助 競争社会から落ちこぼれていく者の負の遺産ですか。
侘助 栗原容疑者は1月24日、アパートの部屋でで千葉県野田市立小学校4年生の栗原心愛さんの頭髪を引っ張って冷水を掛けたほか、首付近を両手でわしづかみにするなど暴行し、傷を負わせたと報じられている。
呑助 大寒の日に風呂場で冷水を父親が10歳の娘にかけた。残酷なことをする父親ですね。案外、直接会って見るとおとなしそうな人なのかもしれませんよ。
侘助 そんなことをする親がいるはずがない。これが普通だよね。この普通なことが普通であり続けることが難しい状況が生れていたということなんだと思う。子供が社会のものである以上、社会は子供を親から引き離し、まず子供を安全安心な場所に保護し、親に対する援助が必要なんだと思うな。
呑助 子供を間違って産んでしまったということですかね。
侘助 普通は、子供を産み、育てていく過程で男は父親に、女は母親になっていく。誰でも初めから母親や父親になるわけではない。子供を育てていく中で親になっていく。しかし親になることの難しさに負けてしまう人がいる。親になる援助を必要とする人がいるということなんじゃないかな。
呑助 いつの時代も親になる厳しさ、大変さのようなものはあるんじゃないですかね。
侘助 そうなんだろうな。その大変さに耐えるのが子供への優しさ、愛なんじゃないのかな。