葛の葉の表見せけり今朝の霜 芭蕉
句郎 この句には異型の句が伝えられている。「くずの葉のおもてみせけり朝の霜」『芭蕉翁真蹟集』、「葛の葉のおもて也けりけさの霜」『雑談集』。芭蕉は推敲している。
華女 この三句を比べて読むと「葛の葉の表見せけり今朝の霜」がすっと心に入ってくるように思うわ。
句郎 俳句は懐紙に一行で書かれたものを詠んで味わうものだったから、漢字交じりの一文が読みやすいということなのかな。
華女 五七五の文字がくっきりとした映像を喚起するように思うわ。
句郎 「葛の葉の表見せけり」の方が「くずの葉のおもてみせけり」より文字が喚起するイメージが明確になるということなのかな。
華女 「くずの葉のおもてみせけり」は「朝の霜」ね。分かるわ。「今朝の霜」を表現するのは「葛の葉の表見せけり」よ。
句郎 「今朝の霜」と「朝の霜」では喚起する映像が違ってくるということか。
華女 そうよ。「今朝の霜」と「朝の霜」では、全然違うわ。
句郎 「葛の葉のおもて也けりけさの霜」。この句の場合は文体の迷いのようなものがあるように感じるな。
華女 「朝の霜」となると緊張感がほぐれてのんびりしてしまうわ。
句郎 葛、葛の花というと秋の季語になっているんじゃないのかな。
華女 葛は秋の七草になっているわ。
句郎 春の七草は知っているような気がするが、秋の七草は知らないな。
華女 春の七草は七草粥にする風習があったんでしょ。無病息災を祈ったというじゃない。秋の七草は愛しさを愛でていたみたいよ。
句郎 秋の七草とは、何なの。
華女 「秋の野に咲きたる花を指(および)折りかき数ふれば七種(ななくさ)の花」と『万葉集』の中で山上憶良が詠んでいるのよ。それは「萩の花、尾花(をばな)、葛花(くずはな)、なでしこの花、をみなへし、また藤袴(ふぢはかま)、朝顔の花」と憶良は詠んでいるわ。
句郎 万葉の時代から日本人は秋の七草を愛でていたんだ。
華女 万葉の頃から日本人は秋という季節に強い思い入れがあったのよ。秋を彩る花の第一が萩よ。小さな花よ。
句郎 萩は綺麗だと中学生の頃感じていたな。尾花とは、どんな花を言うの。
華女 尾花とは、ススキの花穂のことを言うのよ。
句郎 ススキか。秋といえば、ススキのような気がするな。私は日光で生まれ、育った。子供心にもススキはいろいろなことをイメージさせる草だと思った。
華女 葛の花も萩の花のように小さな花よね。
句郎 葛というと子供の頃、母親がよく葛湯をつくって飲ませられた記憶があるな。
華女 葛の根の澱粉が食用、薬用といろいろ使い道があったみたいよ。
句郎 葛餅とか、葛切りかな。
華女 葛餅の好きな女性は多いわよ。上品なお茶請けのように見えるでしょ。
句郎 葛は大変役に立つ植物で、昔から食用、薬用、織物用などに利用されてきた。貝原益軒は『大和本草』の中で「其ノ人ヲ救フコト五穀ニツゲリ」と書いている。
華女 「葛の葉の表見せけり」と芭蕉が詠んだのは「葛の裏風」という言葉があるからじゃないのかしらね。
句郎 「葛の裏風」とは、どんな風なの。
華女 夏の炎天下、土手を覆い尽くした無数の緑の葛の葉の海を白い波が渡って行く光景を見たことがあるでしょ。それを葛の裏風というみたいよ。だから「葛の葉の表見せけり」と詠んだ時、風のない静かな朝の時間を表現しているのよ。
句郎 今朝の霜の白さと葛の葉がまだ緑を失っていない風景に芭蕉は詩を見つけたのかな。
華女 葛の葉の命の強さを芭蕉は感じたのよ。