醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより  994号  白井一道

2019-02-10 15:54:41 | 随筆・小説



   其(その)にほひ桃より白し水仙花   芭蕉


句郎 元禄4年10月、芭蕉は三河の国新城の庄屋、太田金左衛門(俳号、白雪)亭の俳諧に招かれ、詠んだ発句が「其にほひ」の句だった。
華女 匂いを色で表現しているのね。
句郎 水仙花を讃えてるのかな。
華女 何か、もっと意味がありそうな感じがするわ。
句郎 この句は挨拶句のようなんだ。太田亭に招かれ挨拶した句だからね。太田金左衛門には二人の息子がいたようなんだ。二人の息子に金左衛門は俳号を貰えないかと芭蕉に願った。芭蕉は長男には「桃先(とうせん)」、次男には「桃後(とうご)」と俳号を与えて、詠んだ句が「其なほひ」の句だった。
華女 俳号を与えるということが俳諧師の収入の一つになっていたのね。日本舞踊なんかでも師匠から名前をいただくとお金がかかるみたいよ。。
句郎 囲碁や将棋でも連盟からアマチュアが段位をいただくとお金が必要になるからな。
華女 俳句も芭蕉の時代から習い事のようなシステムができていたのかもしれないわね。
句郎 俳句は習い事なのか、それとも文学なのか、問題があるように感ずるな。
華女 華道や茶道、書道、剣道、柔道など習い事はいろいろたくさんあるわ。
句郎 華道や茶道、書道などは芸術であるのか、それとも習い事なのか、芸術と習い事とはつながっているようで切れている。海岸の波うち際のように海と陸とを区切る線はあるようでない。一本の線で区切ることはできないが、帯状になって切れている。
華女 スポーツとしての剣道と習い事としての剣道は違っているように思うわ。書道の場合も同じよ。芸術としての書道というものはあると思うわ。でも大半の人の書道は習い事としての限りなく習字に近い書道もあるように思うわ。
句郎 テレビ番組「プレバト」で行っている俳句は習い事としての俳句かな。俳句初心者が回を重ねることによって上手になっていく。上手になることによって文学の匂いが出てくる。文学作品になる俳句が詠まれる可能性はあるように感じるな。
華女 習い事としての俳句でもいいんじゃないかしら。強いて文学だなどと言う必要はないように思うわ。俳句を詠む楽しさがあれば、それていいのじゃないのかしらね。
句郎 所詮、俳諧は遊びだったからね。その遊びとしての俳諧を文学にまで高めたのが芭蕉だった。
華女 文学に域にまで達している句がある一方で文学にまで達していない句が芭蕉にもあるということなのよね。
句郎 「其にほひ桃より白し水仙花」。この芭蕉の句は商売の匂いのする句のように感じるな。今栄蔵校注『芭蕉句集』新潮日本古典集成の注によると「水仙花は二少年の穢れなき純心を祝いつつ、自らの号「桃青」の一字を詠み入れ「桃」の号を与えた。「桃」をへりくだって詠んでいる」とある。このように今栄蔵は書いている。俳諧師芭蕉には商売人としての一面を持っていたのではないかな。
華女 俳諧師とは、今の芸能人だったということなのね。現代の大衆作家が芸能人であるように芭蕉もまた今の芸能人のような存在であったということなのよね。
句郎 俳諧を楽しむ農民や町人がいた。武士の中にも俳諧を楽しむ人がいた。楽しいことは人びとの間に広がっていく。
華女 テレビの「プレバト」俳句、夏井いつきの添削には説得力があるのよね。納得してしまうもの。
句郎 きっと芭蕉の添削にも説得力があった。だから弟子がたくさん集まった。多くの弟子たちがいたから芭蕉の句は多くの人々に知られるようになっていった。
華女 芭蕉は孤高の俳人ではなく、俳諧を楽しむ人々の中で誰からも好かれる腰の低い俳諧師だったのね。
句郎 きっとね。