雪をまつ上戸(じょうご)の顔やいなびかり 芭蕉
句郎 元禄4年10月、芭蕉は近江を後にして江戸に向かった。三河、新城の菅沼権右衛門亭に芭蕉は招かれ、俳諧を楽しむ。権右衛門の俳号が耕月。この日、三河の門人たちが集まって俳諧と宴会を楽しんだ。この時の発句が亭主、耕月への挨拶吟だった。
華女 ゴルフ愛好家がプロゴルファーやゴルフレッスンプロを支えているのと同じね。囲碁や将棋の世界にもプロはアマチュアと対戦し、教授料を取っているわね。
句郎 俳諧の社会的存在の仕方というのは、今の俳句と基本的に変わることはないように思うな。
華女 現代の俳人といわれる人々は機関誌を発行し、同人から年間購読料を取り、生活を成り立たせているのじゃないのかしら。
句郎 俳諧師は一面商売人でもあったということなのかな。
華女 芭蕉は俳諧を生活の生業にできた人の一人だったのよね。
句郎 それは本当に厳しい道であったように思う。
華女 耕月亭に集まった人々の中には祝儀を持ってくる人もいたのかもしれないわ。お酒も楽しみながら俳諧をしたのでしょうから。
句郎 芭蕉は俳諧宗匠として謝金をいただいたんだろうね。「雪をまつ」という言葉は単に雪が降ってくるのを待って、雪見酒をしたいというだけの意味なのか、どうか、疑問を感じるんだ。
華女 来ると言ってまだ来ていない「雪」の付く名前を持った人がいたということなのかしら。
句郎 俳号「白雪」を持つ三河の同門の人がいたじゃない。
華女 白雪さんが見えたらお酒にしましょうと、いう了解が仲間内にあったと言うようなことかしら。
句郎 この句は季重なりの句のように思うけれども、そうではなくて雪を詠んでいる句だと思う。
華女 「いなびかり」は今では秋の季語よね。冬の稲光を芭蕉は詠んでいるのね。寒雷ね。
句郎 雷というと夏のものという印象があるが日本海側にあっては冬の雷が多く発生しているようだよ。
華女 「寒雷やびりりびりりと真夜の玻璃」加藤楸邨の世界を300年も前に芭蕉は詠んでいるのね。
句郎 宴会を待つ男の顔に稲光だからね。
華女 酒を待つ男の顔を芭蕉は表現しているのよね。
句郎 酒を待つ望む男の気持ちを芭蕉は分かっていた。それは集まって門人全員の気持ちでもあった。酒を待つ全員の気持ちを詠んでいるのでこの句は発句になっているということだと思う。
華女 座を同じくする人々全員の気持ちがこの発句には詠まれているから発句なんだということなのね。
句郎 実際には稲光はなかったのかもしれない。座を同じくする者の顔に一瞬、気持ちが表れたことを持って、芭蕉はそれを稲光と表現したのかもしれない。
華女 三河の国で冬、稲光することはほとんどないのじゃないのかしら。
句郎 稲光を芭蕉は仲間の顔に見たように思ったのかもしれないな。実際、芭蕉は『おくのほそ道』の旅の途中、金沢あたりで冬の雷の恐ろしさを聞いていたのかもしれない。
華女 芭蕉は冬の雷を実際には経験していないということなのかしら。
句郎 そういうことも考えられるように思っただけなんだ。
華女 「雪をまつ上戸の顔やいなびかり」。分かるわ。一瞬暗くなった所に男の顔が浮かび上がってくるのよね。その顔は酒を欲しがっている顔なんでしょ。分かる気がするわ。
句郎 寒さを吹き飛ばしている男の顔かな。欲望が浮き上がっている顔かな。
華女 脂ぎった男の顔ね。見方によればセクシーでもあるし、また別の面から見ると怖いようにも思うわ。
句郎 稲光を怖がっている顔じゃないよ。
華女 そうね。待てと、言われている男の顔よ。力の籠った男の顔ね。