醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより  1004号  白井一道

2019-02-21 13:30:30 | 随筆・小説



  馬かたはしらじしぐれの大井川   芭蕉



句郎 元禄4年の冬、芭蕉は、大井川を渡って塚本如舟亭に宿を借りた。芭蕉は馬に乗って島田宿を後にした。
華女 芭蕉は馬方の後姿を見て感じたことを詠んでいるのね。
句郎 大井川の水量は雨が降ると増水した。その結果、川渡り賃は高くなった。川風は冷たい。
華女 褌一つの川渡し人足とは、凄いわね。真冬であっても裸で旅人を肩車して冷たい水の中に入り
 川を渡るのでしょ、
句郎 江戸幕府は大井川や安倍川などには橋を架けず、徒歩での通行と定めていたからね。特に大井川は駿河と遠江の国境であったから、幕府は各藩からの防備を固めるため架橋、通船を禁じていた。そのかわり川渡し人足の仕事を作った。冬場は厳しかったろうけれども仕事にありつけた人足は生きることができた。
華女 冬場の川渡り賃は高かったんでしようね。
句郎 川庄屋は毎日、川幅を測る。水の深さを測る。水の深さは、股通(また
どうし)や乳通(ちちどうし)と呼び、股通の場合は川札1枚が四十八文。大井川の普段の水位は二尺五寸(約76cm)で、四尺五寸(約136cm)を超えると川留めとなったようだ。川庄屋は毎日の川渡り料金を決め、川会所前の高札場に当日の川札の値段を掲げていたようだ。
句郎 特に季節によって川渡りの値段が変わることはなかったみたいだ。
華女 水の深さで値段が変わったのね。
句郎 冬場は水の深さがないから膝くらいまでの時は今の値段にするとおよそ1400円ぐらいだったらしい。腰ぐらいまで水がある時は1500円ぐらい、梅雨を迎え、水量が増え、肩ぐらいまで水があるようになると2800から2900円近く取られるようになった。できる限り水の流れが緩やかで、川底の平らなところを川越人足は探して歩いた。
華女 元禄時代の旅には今では考えられないようことにお金がかかったのね。
句郎 江戸時代はひたすら歩いた。その割に旅の費用は考えるより遥かに高かった。川を渡るにもお金がかかった。関所を通るにもお金がかかる所もあったようだから。
華女 そのような時代に私がまだ行ったこともないような所に芭蕉は歩いて行っているということが凄いと思うわ。お金を工面して旅をしているのよね。家族をもった男の出来ることではないわ。
句郎 島田宿から馬に乗った芭蕉は時雨れた大井川を渡ることがどんなに大変だったか馬方さんはお分かりじゃないでしよう。そのような気持ちに芭蕉はなった。
華女 芭蕉のその気持ち分かる気がするわ。高校生の頃、学校で合唱祭があったのよ。私は伴奏のピアノを弾いたけど、うまく弾けなかったの。苦しかったわ。能天気な母が私たちの合唱を聞き、よかったわよと言った時、私はどんなに苦しかったか、母にはわからないだろうなと思ったわ。
句郎 我関せず、ひたすら馬の口を取り、歩いていく馬方の姿を見て、ふっと湧いてきた思いが口をついて出た句のように感じるな。