醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1289号   白井一道

2020-01-01 12:43:12 | 随筆・小説



    2020年を迎えての挨拶


  
 「醸楽庵だより」をブログに初めてアップしたのが2014年11月13日です。まる5年を過ぎ、6年目に入りました。この間、一時期中断したことが二度ほどありました。一度目は、パソコンの具合が悪くなったためでした。二度目は私が病に倒れ、二週間ほど入院したためでした。
 定年退職後、私は仲間を募り、日本酒に親しむ同好会を作り、楽しんでいました。もう一つ、高校生の頃からの思いであった芭蕉の文学作品をじっくり読むことでした。その目的を実現するため、『おくのほそ道』を読む会を組織しました。全く素人の者が仲間を募って芭蕉の文章と発句を読んできました。その過程で学んだことを私はブログに載せたのが始まりでした。
 「醸楽庵だより」第1号に次のような文章を載せています。金沢から山中温泉に向かう途中、那谷寺で芭蕉が詠んだ句が「石山の石より白し秋の風」です。2014、11、13、に投稿したものです。
「石山の石より白し秋の風  芭蕉
 なぜ秋の風は白いの。芭蕉はなぜ秋の風を白く感じたのだろう。不思議だ。私は全然秋風が白いなんて感じたことはない。「吹き来れば身にも沁みける秋風を色なきものと思ひけるかな」と平安時代の歌人は詠んでいる。「秋風を色なきもの」と昔の日本人は感じた。秋風の吹く景色は殺風景だということかな。殺風景な景色を「色なきもの」と表現したのだ。殺風景な景色に吹く風が身に染みる。分かるな。
 「色なき風」はなぜ白いのかな。錦秋という季語が表現する色は赤や黄色に色づく紅葉の色だ。そこに吹く風が色なきものであるはずがない。秋風は紅葉を吹き飛ばす。色づいていた山から色が抜けていく。野山の景色を色なきものにしていくのが秋風だ。
 清少納言は「秋は夕暮」と言っている。夕暮の秋には秋を感じる。特に晩秋の夕暮に秋を感じる。晩秋の夕暮の景色には色がない。野山に紅葉がなくなった景色を見て、芭蕉は無常観を感じた。生あるものの哀しみを思った。この世の無常と哀愁に白をいう色を感じたのかな。」
 65歳になって初めて岩波文庫の『おくのほそ道』を最初から終わりまで読みました。十代の終わりごろ抱いていた芭蕉像が大きく変わりました。孤高の俳人・芭蕉というイメージが高校生の頃抱いたイメージでしたが、今はそうではなく、世俗に生きた生活力旺盛な俳諧師というイメージです。
 芭蕉は29歳という歳になって、江戸に出ている。高校生の頃はなぜ京都や大坂に出なかったのかという疑問を持っていたが、芭蕉は江戸に出たので、芭蕉は芭蕉になったと今、私は考えている。京都や大坂に出ていたら、芭蕉は芭蕉になることはなかった。そのように考えている。文化的には遥かに江戸より京都や大坂の方が高かった。文化的水準が京都や大坂に比べてより低い江戸に出たことによって芭蕉は俳諧の発句を文学へと引き上げることができた。芭蕉は江戸に出て、俳諧師になる道を選んだことによって言葉遊びの俳諧の連歌が文学になった。なぜ京都や大坂ではこのようなことができなかったのかと言うとその理由は俳諧の大御所と言われる人々が京都や大坂には大勢いたということだ。そのことによって若者の俳諧にある新しさが否定的に評価されがちである。新しさのある若者の俳諧が江戸にあっては受け入れられる余地が大きかった。潰される可能性が低かったということだ。若い俳諧師の生活が江戸では成り立ったということだ。農民の出である芭蕉にとってまず大事なことは俳諧師としての生活が成り立つということだ。俳諧に楽しみを求める人々がいて、初めて芭蕉の生活は成り立つ。新興都市江戸には日本中から仕事を求めて集まってくる人々がいた。江戸には貧民街が出現していた。そのような貧民街の住人の一人として芭蕉は江戸の住人になった。江戸深川は今だに東京の代表的な下町の一つである。
 芭蕉の文学はその出自から江戸町人の中から生まれてきている。公家といわれる人々や武士と言われる人々の中から芭蕉の文学は生まれて来たものではないということを私は知った。確かに芭蕉は過去の文学作品から大きな影響を受けていることは間違いないことではあるが、それら過去の文学作品を継承しながら新しい町人や農民の文学としての発句を詠んだ。芭蕉の文学を長谷川櫂氏はシェイクスピアの作品に匹敵するものとして評価している。全くその通りであり、ヨーロッパで起きたルネサンスに匹敵することを日本の文学において実現したのが芭蕉だと私は考えるようになった。『おくのほそ道』を読み終わったので現在は『徒然草』を読み始めたように次第です。私のつたない文章を読んでくださる読者の皆様、本当にありがとうございます。