醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1301号   白井一道  

2020-01-15 11:04:18 | 随筆・小説



 世界史から現代社会を考える 「産業革命が資本主義経済を生んだ」



 資本主義という経済の仕組みは魔法の如きもの。
 お金が循環するとお金は自己増殖する。資本主義経済は魔法の仕組みだ。
お金が自己増殖するのは資本主義経済だからである。お金が循環する仕込みを作るとお金は自己増殖していく。だから銀行にお金を預けると利子が付く。勿論、お金の循環に異変が生じ、または失敗をして元金を失ってしまうこともある。また経済全体に異変が生じ、お金の循環が滞るような事態が生れることもある。マイナス金利などという事態は資本主義経済全体に異変が生じていることを意味している。
資本主義経済が正常に機能するには厳しい倫理観が求められる。その倫理観とは質素、勤勉、正直ということである。『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の中でマックス・ウェーバーが述べている。イギリスのピューリタニズム、ドイツのプロテスタンティズムが支配する社会の中で資本主義経済は発展し、普及した。このような資本主義精神を体現した人に元日本経団連会長をした土光敏夫という人がいる。土光元経団連会長の一ヶ月の生活費は五万円だと言われていた。真冬であっても質素な灯油ストーブを付けるだけだ。朝ごはんのおかずは目刺しだという。まさに資本主義の精神を体現していると讃えられた。美味しいものを食べる事、美しいものに囲まれて生活する事、高価な衣服を身にまとう事、豪華な家に住むことなどは資本主義の精神に反することと嫌われる。今、資本主義経済が揺らぎ始めたと言う事は強欲すぎる人々が資本主義経済の中心に跋扈しているからなのかもしれない。資本主義の精神を忘れ、資本主義の倫理観を失ってしまった人々が世界経済を牛耳っているからなのかもしれない。
資本という言葉を発見し、資本の概念を究明したのがカール・マルクスだった。資本主義経済の魔法の仕組みをマルクスは解明した。ドイツ人のマルクスはドイツの古典哲学、主にヘーゲル哲学を学び、イギリスの経済を研究することで資本主義経済の魔法の仕組みを解明した。
資本が循環すると資本は自己増殖する。どうして資本はなぜ自己増殖するのかというと資本は循環する過程で剰余価値が生産されるからである。資本は循環の過程で剰余価値が生産されるから自己増殖する。
資本の循環の過程を詳しく見ると資本の循環はまず貨幣資本として存在し、貨幣資本は生産資本に変わり、商品資本に変わり、また貨幣資本に変わる。貨幣資本↓生産資本↓商品資本↓貨幣資本。生産資本の段階で貨幣資本の価値に剰余価値が付け加わる。生産資本は不変資本と可変資本に分けられる。工場の建物、機械、原料その物の価値は変わらないから不変資本、一方労働者に支払われる賃金が可変資本である。労働者が機械を使って原料を加工するなど労働を加えることによって賃金以上の価値を創り出す。この賃金以上のつくられた価値が剰余価値といわれるものである。マルクスはアダム・スミス以来の労働価値説を継承して剰余価値説を新たに付け加えた。マルクスの『資本論』はアダム・スミスの倫理学の著作『諸国民の富』の正統な継承者である。資本家は生産手段の所有者であるから当然のこととして労働者が新たに作り出した剰余価値を自分のものにする。このことを現代のマルクス主義経済学者は搾取と言っている。搾取は法的権利である。生産する営みは社会的なものであるが生産手段は私的に所有されている。この生産の社会性と生産手段の私的所有に矛盾がある。この矛盾が資本主義社会に存在する基本的な矛盾である。
 資本とは、どのようにこの世に生まれて来たのか。その出自はどこにあるのか。マルクスはイギリスの産業革命によって資本が誕生し、成長発展していったことを解明した。だから『資本論』という著書はイギリス産業革命について研究した著書でもある。ドイツの古典哲学、ヘーゲルの弁証法でイギリスの経済を批判した結果が『資本論』である。
 まずイギリスにおいて「資本の原始的蓄積」が始まった。この資本の原始的蓄積とは、具体的に何を意味しているのかというと、それは労働者の誕生・出現ということなのだ。イギリスにおける労働者の誕生が経済的には資本の原始的蓄積なのだ。
 イギリスにおける労働者の誕生は、16世紀、絶対主義王朝時代までさかのぼる。そのころオランダ・フランドル地方で毛織物工業が発展するとこの毛織物工業の原料供給地としてイギリスでは牧羊業が普及発展する。そのため今まで農奴に耕させていた土地をジェントリと呼ばれていた郷紳は土地を囲い込み、農奴を農村から追い出した。その土地で郷紳は羊の飼育をする羊毛生産を始めた。農村から追い出された農民は中世都市の貧民街に流れ込んでいった。中世都市ロンドンでは乞食に鑑札を与え、乞食が都市にあふれた。鑑札なく乞食をして、三回捕まると死刑になった。このことをイギリスの人文学者トマス・モアは著書『ユートピア』の中で「羊が人間を食う」と書いている。更に西ヨーロッパの基本農法であった三圃制は、イングランド東部のノーフォーク州において新たな農法にとって変っていった。ノーフォーク農法は、三圃制にみられた休耕地の時期がなく、4年収期で同一耕地に大麦↓クローバー↓小麦↓根菜のカブの順に輪作するやり方である。クローバーとカブは牧草として家畜の飼料となった。牧草が不足する冬季において、冬の寒さに強いカブを飼料として栽培することで、1年を通じての飼育と穀物生産が可能となり、18世紀には生産量が激増した。その結果、議会は法律を制定し、農地の囲い込みを法律で制定した。この結果、大量の乞食の群れが中世都市に出現した。こうして自分の労働力を売ることなしには生きていく手段を持たない大量な人々が出現した。この事をカール・マルクスは「血と涙、汚物にまみれて資本は生まれて来た」と述べ、この事を資本の原始的蓄積と著書『資本論』の中で述べている。資本の誕生とは労働者の誕生ということを意味している。
 一方、イギリスの重商主義経済政策の結果、インド綿布がイギリスに普及していくとイギリス本国に置いてもインドから輸入したインド綿花を加工する綿布生産が始まる。こうして工場制手工業といわれるマニュファクチャーがイギリスの農村地域に誕生し普及していく。工場制手工業、マニュファクチャーが綿布生産をする。このような代表的な農村工業地帯の中心となった所がマンチェスターという所だった。綿布生産のマニュファクチャーは農村をエンクロージャー、囲い込みによって追い出され、生活手段を奪われた元農奴を雇い入れ、工場労働者にした。このマニュファクチャーが産業資本家の誕生である。こうした綿布を生産する産業資本家の成立が資本主義経済の成立である。
 綿布生産者のマニュファクチャーに資金を提供したのがリヴァプールの奴隷貿易商たちである。マンチェスターから50キロほど離れた港町がリヴァプールである。この港町リヴァプールから20世紀の世界に大きな影響を与えた若者四人組がいる。それがビートルズである。未だに階級社会のイギリスで労働者階級出身の若者が20世紀音楽に大きな影響を与えた。奴隷貿易で得た巨万の富がリヴァプールの繁栄であり、産業革命の資金になった。だから未だにリヴァプールの街の紋章はニグロが象られているという。
 1830年、リヴァプールとマンチェスターを結ぶ鉄道が敷設された。工業都市マンチェスターと貿易港リヴァプールの間の約50キロメートルを蒸気機関車が走り、時刻表を用いて定期運行する世界初の営利事業としては初めての鉄道が出現した。馬車とちがって季節や天候に左右されず、大量、迅速かつ確実に輸送し、移動することが可能になった。これはまた交通革命でもあった。
 リヴァプールの奴隷商人は銃とアフリカ黒人とを交換した。ベニン湾に沿った西アフリカの大西洋岸である。16世紀初頭のポルトガルの到来から19世紀初頭の奴隷貿易の公式廃止まで、大西洋岸の全域から多くの黒人奴隷が大西洋奴隷貿易で売られた。西欧や新世界(南北アメリカ大陸)へ運ばれる奴隷貿易船に西アフリカの黒人たちが乗せられた。他の黄金海岸・象牙海岸・胡椒海岸(穀物海岸)と並び、「主要産品」にちなんで西アフリカ海岸は「奴隷海岸」と呼ばれていた。
 リヴァプールの奴隷商人は西アフリカで仕入れたアフリカ黒人を船に積み込み、西インド諸島、カリブ海地域のスペイン人経営の奴隷砂糖プランテーションで売りさばき、砂糖を仕入れた。このような大西洋三角貿易によってリヴァプールの奴隷商人は巨万の富を築いた。イギリスの繁栄は西アフリカ黒人の血と涙の結果であった。英語で奴隷のことをslave
という。これまで西ヨーロッパの人々にとって奴隷とはスラブ人を意味していた。奴隷貿易が普及し、黒人奴隷が増えるに従ってアフリカ人奴隷のことを今まで通りにスラブ、slaveと言うようになった。
 リヴァプールにもたらされたこの富がイギリス産業革命の資金になった。
 一方イギリス、ランカシャーやヨークシャー地域にある農村工業地帯で手工業としての綿布生産が始まっていた。そのような中で1733年綿布生産業者ジョク・ケイによって飛び杼(ひ)が発明された。飛び杼とは、綿布の横糸を通す道具をいう。これを機械化した工場制機械工業が産業革命の始まりだ。