徒然草133段 『夜の御殿は、東御枕なり』
原文
夜の御殿(おとど)は、東御枕(ひがしみまくら)なり。大方、東を枕として陽気を受くべき故に、孔子も東首(こうしゅ)し給へり。寝殿のしつらひ、或は南枕、常の事なり。白河院は、北首(ほくしゅ)に御寝(ぎょしん)なりけり。「北は忌む事なり。また、伊勢は南なり。太神宮の御方を御跡にせさせ給ふ事いかゞ」と、人申しけり。たゞし、太神宮の遥拝(えうはい)
は、巽に向はせ給ふ。南にはあらず。
現代語訳
天皇の夜の寝所の枕は東である。大方は東を枕として自然の動き出す気を受けるために孔子も枕を゜東側に置かれた。寝殿の造作、或いは南枕が一般である。白河院は寝間を北枕にしていた。「枕を北に置くことは避けるべき事だ。また伊勢は南にある。伊勢の皇大神宮の御方角に足を向けるのはいかがなものであろう」と、人が言っている。ただし、皇大神宮の遥拝は東南に向かって行う。南向きではない。
大安吉日に天皇制はある 白井一道
「大安吉日がある以上、天皇制はなくならない」と、日本史の先生が話したことを鮮明に覚えている。その意味を当時の私は理解することができなかった。大安吉日と天皇制とがいかなる関係にあるのか、私には理解できなかった。
『資本論第一巻』の中に「商品の呪物性と崇拝」について論じている部分がある。この部分を読み、「大安吉日がある以上、天皇制はなくならない」という言葉の意味が理解できたように思ったことがある。マルクスは商品に呪物性を発見した。資本主義社会に生きる人間は商品の呪物性に縛られて生きている。同じように天皇制下に生きる日本人は天皇制という呪物に縛られているから天皇制はなくならない。天皇を呪物として日本人は千年以上も崇拝し続けて来た歴史がある。天皇が人間宣言をしてからまだ70年ほどの歴史しかない以上、まだまだ我々日本人の天皇崇拝は続いて行くのではないかと思う。天皇制とは一種の呪物崇拝に基づいたものであることを端的に述べた言葉が「大安吉日」の存在ということなのだ。「大安吉日」とは呪物崇拝の賜物なのだ。仏滅の日に結婚式と披露宴をする者はほとんどいないという。中には仏滅の日の結婚は安くできるのでわざわざ仏滅の日を選んでに結婚式をする若者がいるという話を聞いたことがある。大安吉日の呪物崇拝から解放された若者なのであろう。
「日を見る」、「方角を見る」、このようなことが一種の呪物崇拝であるということについて気付いていない。呪物崇拝に従うことが心を安定させることだと考えていると言う事なのであろう。