醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1303号   白井一道   

2020-01-18 10:54:41 | 随筆・小説

 
  
 徒然草128段『雅房大納言は』



原文
 雅房大納言(まさふさのだいなごん)は、才賢(ざえかしこ)く、よき人にて、大将(だいしやう)にもなさばやと思しける比、院の近習(きんじゆ)なる人、「たゞ今、あさましき事を見侍りつ」と申されければ、「何事ぞ」と問はせ給ひけるに、「雅房卿、鷹に飼はんとて、生きたる犬の足を斬り侍りつるを、中墻(なかがき)の穴より見侍りつ」と申されけるに、うとましく、憎く思しめして、日来(ひごろ)の御気色(みけしき)も違ひ、昇進(しやうじん)もし給はざりけり。さばかりの人、鷹を持たれたりけるは思はずなれど、犬の足は跡なき事なり。虚言(そらごと)は不便なれども、かゝる事を聞かせ給ひて、憎ませ給ひける君の御心は、いと尊き事なり。

現代語訳
 雅房大納言(まさふさのだいなごん)は、才能の溢れた善い人なので、大将にもなるのではと思われていたころ、亀山法皇に仕える人が「ただ今、あさましきことを見て参りました」と言うので亀山法皇が「何事だ」と聞いたところ「雅房卿が鷹の餌のため、生きている犬の足を斬られるところを隣との垣根の間から見ました」と言うの聞き、亀山法皇は気味悪く、憎らしく思ったのか、日頃の機嫌をそこね、雅房大納言を昇進させなかった。あれほどの人が鷹を飼っているとは思いもしなかったけれども、犬の足を斬ったことは根拠のないことだ。嘘を言われて昇進できなかったことはお気の毒であったが、亀山法皇がこのような事をお聞きになり、犬の足を斬るようことを憎む亀山法皇のお気持ちは大変尊いことだ。

原文
 大方、生ける物を殺し、傷め、闘はしめて、遊び楽しまん人は、畜生残害の類なり。万の鳥獣、小さき虫までも、心をとめて有様を見るに、子を思ひ、親をなつかしくし、夫婦を伴ひ、嫉(ねた)み、怒り、欲多く、身を愛し、命を惜しめること、偏へに愚痴なる故に、人よりもまさりて甚だし。彼に苦しみを与へ、命を奪はん事、いかでかいたましからざらん。

現代語訳
 大方、生き物を殺し、傷つけ、闘わせて遊び楽しむ人は畜生と同類の者だ。万の鳥獣、小さな虫までも心にとめている有様を見るにつけ、子を思い、親を大切にし、夫婦一緒に妬み、怒り、欲深く、体を大事にし命を惜しむこと、人間より偏に愚かであるが故に強く甚だしい。それらのものに苦しみを与え、命を奪う事、いかに痛ましいことであろうか。

原文
 すべて、一切の有情を見て、慈悲の心なからんは、人倫にあらず。

 すべて、一切の生物を見て、慈悲の心のないものは人間ではない。



 仏教の不殺生戒について   白井一道
不殺生(アヒンサー)を仏教が主張する理由は、 自他の生命(いのち)を大切に生きるということのようだ。
 仏教の戒律とは、悟りを求める修行の過程で自発的に守ろうとする戒めのことである。
 ①不殺生戒、殺してはいけない。
 ②不偸盗戒、盗んではいけない。
 ③不邪淫戒、不道徳な性行為を行ってはならない。
 ④不妄語戒、嘘をついてはいけない。
 ⑤不飲酒戒、酒を飲んではいけない。
 これらの戒律は人間が自然の一部であると自覚せよと教えている。人間は自然に生かされている。自然を受け入れよと仏の声を聴けというのが、五戒であろう。自然と共生せよという教えが不殺生戒である。人間は人間を殺すようなことをするはずがないということが仏教の教える人間観なのである。人は人と仲良くすることに人間の真実があるという教えが仏教なのだ。
 「不偸盗戒」とは、人間の真実が分かって来るならそのようなことがあるはずがない。盗むということが現実にあるということは、その人間がまだ人間の真実に目覚めていないということなのだ。人間の真実を知れと教えている。