徒然草136段 『医師篤成、故法皇の御前に候ひて』
原文
医師篤成(くすしあつしげ)、故法皇(こほふおう)の御前に候ひて、供御(ぐご)の参りけるに、「今参り侍る供御の色々を、文字も功能も尋ね下されて、そらに申し侍らば、本草(ほんさう)に御覧じ合はせられ侍れかし。一つも申し誤り侍らじ」と申しける時しも、六条故内府(ろくでうのこだいふ)参り給ひて、「有房(ありふさ)、ついでに物習ひ侍らん」とて、「先(ま)づ、『しほ』といふ文字は、いづれの偏(へん)にか侍らん」と問はれたりけるに、「土偏(どへん)に候ふ」と申したりければ、「才の程、既にあらはれにたり。今はさばかりにて候へ。ゆかしき所なし」と申されけるに、どよみに成りて、罷り出でにけり。
現代語訳
典薬頭(てんやくのかみ)、和気篤成(わけのあつしげ)は故法皇(こほふおう)の前に伺い、故法皇のお膳が持ってこられたときに、「今、持ってこられたお膳の品々の名称と効能を尋ね下さり、更に申しあげれば、薬草の書籍を開き、お調べになられた。一つも誤ったことを言われなかった」とおっしゃられた、ちょうどその時、源有房右大臣がお見えになり、「有房(ありふさ)、ついでに教えてもらいたい」と、「まず『しほ』という文字の偏は何偏でしたか」と、問われた時に「土偏でございます」とおっしゃられたので「才能のほどがすでに明らかになった。もう結構でございます。もう知りたいことはございません」とおっしゃられると、一座の者たちは大笑いとなり、医師篤成(くすしあつしげ)は帰ってしまった。
万能薬であった塩 白井一道
昭和44年(1969)に編集された「塩俗問集」(渋沢敬三編)に塩水、塩油、塩茶を飲めば、胃腸によい。便通にも下痢にも良い。泥酔や宿酔にも良いと言い伝えられている。
関東や東北地方では、塩で傷口を洗うと化膿しないや、毒虫に刺されたとき塩で洗うと良い。子供の頃、口の中の傷や喉の悪いとき塩水でうがいをしなさいとも書かれています。
塩療法には焼いたり煎ったりして使う方法や熱した塩を布や袋で包み、冷えるところや痛むところに置いたり、腹痛や腰痛などの患部にあてると効果があり「塩温石(じゃく)」と呼び、湯たんぽや懐炉のように使われていたそうです。塩は万能であった時代があった。
塩は波の花
長野県では苦汁(にがり)のまじっていない塩を「真塩・ましお」と呼んだり、高知県では海水を「大潮」というのに対して、塩を「コシオ」と称したり、山梨県の身延町では塩を「海の実」と呼んだりします。また栃木県では「キヨメ」、静岡県韮山地方では「ウチマキ」などと呼ぶところもあります。
花柳界では塩を「波の花」と呼びますが、「塩俗問答集」によると夜間の忌(い)み言葉として「波の花」と呼ばせたそうです。古くは夜間に塩の名を口にするときには、ヤマイヌやオオカミなどに気付かれないように心配りをし「波の花」といい換えたのだそうです。
また“しおれる”を嫌ってともあります。冬の日本海の強風で波の荒い日に岩に打ち寄せた波が、白い泡となって雪のように舞う情景から「波の花」とも呼んでいます。この「波の花」は、冬の風物詩となっています。
塩を知らずに生きる人
台湾山地のタイヤル族は塩を知らず、塩分は食塩を添加するのではなく、他の食品中に含まれる物で摂り塩味が欲しいときは、山にある植物の実や葉から得たり、魚や獣の内臓などで漬けた“なれずし”を作り、獲物の中のミネラルを100%、利用したとあります。
日本では、アイヌの人々は塩を必要としなかったと、瀬川清子の「村の女たち」に書かれています。粟に坐禅草(トレブ・ブクサ)を鍋に入れ、鹿の肉を少し入れて煮ることで塩がなくてもよかったと記されています。
また、塩の入らぬ昆布だしばかりで肉も魚も塩なしで食べていたともありますが、浜の漁場で和人が塩をつけるのを見て、川にのぼってきた鮭を塩したり干したりして塩を知ったと、書かれています。
東京ソルト株式会社「塩コラム」から